打ち首こくまろ

限界オタクの最終処分場

君たちをミリオンライブ沼へ誘う曲10選

 さて、ミリオン5thライブ最高でしたね。これを機にミリオンにハマった人、ハマるまではいかなくてもちょっと興味が出てきている人、既に頭のテッペンまで浸かってて窒息している人などがいるのではないでしょうか。

 そんな人達に良い知らせと悪い知らせがあります。良い知らせとは、ミリオンライブにはライブで披露された曲も含めて220曲以上もの曲が君たちを待ち構えている、ということです。悪い知らせとは、220曲以上あることで何をとっかかりにすればいいのか全くわからないことです。

 さて、この記事ではそんな君たちに向けて、220曲から厳選に厳選を重ねて、とっかかりの10曲を選んでみたいと思います。ミリオンライブってどんな曲があるのか、またどのCDから手をつけようかの参考になれば。

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漫画村ブロッキング騒動を見てモヤモヤが止まらない

 エンジニアの端くれとして漫画村騒動にはちょっと思うところがあったんだけど、ちょっとおもしろ記事が掲載されてたのでこれを機につらつらと語ってみる。

tech.nikkeibp.co.jp

IPブロッキングは検閲だろと言う話

 同氏は「出版業界としての意見ではなく、あくまで個人の意見」としたうえで、法制化に当たって「DNSブロッキングだけでなく、IPブロッキングまで検討するべき」と主張する。この場合、IPブロッキングの対象は、日本の法執行力が及ばず、削除依頼や発信者情報の開示請求を無視し続けている海外のホスティング事業者に限る。

 IPブロッキングを、日本からの発信者情報開示を拒否する悪質な海外ホスティング事業者に対する抑止力にする、というのが川上氏のアイデアだ。裁判所による仮処分などの司法の判断に基づき実施するという。「ほとんどのケースはDNSブロッキングとIPブロッキングの組み合わせで対応できるはず。(特定のキーワードがあるデータやコンテンツをブロックする)データブロッキングは検閲になるので、そこに踏み込むべきではない」(川上氏)。

 一番面白かったのがこの部分なんですけど、いやいや、「IPブロッキングはギリギリ検閲にならない」と言いたいんでしょうけど、モロ検閲でしょうよ。

 ちょっと説明すると、例えば漫画村にアクセスしようと「mangamura.org」とアドレスバーに入力すると、ブラウザは「DNSサーバ」というサーバに「すみません、mangamura.orgのIPアドレスを教えて頂けませんか?」と聞きに行きます。このIPアドレスを入手することによって、ブラウザはどこにアクセスしに行けばいいか分かるようになります。役所に人の住所を聞きに行くみたいな感じです。

 DNSブロッキングとは、「mangamura.orgのIPアドレスを教えて頂けませんか?」という質問に対して、「いやーちょっと、そのサイトのIPアドレスは教えられないことになってるんですよー」と言って回答を拒否することです。こうなると、ブラウザはmangamura.orgのIPアドレスを知ることができないので、漫画村にアクセスすることができなくなります。めでたしめでたし。

 ではありません。DNSサーバを介さなくたって、友人やそこらの掲示板から「mangamura.orgのIPアドレスはaaa.bbb.ccc.dddだよー」という情報を入手することだってできます。そしてブラウザにIPアドレスを直打ちしてしまえば、晴れて漫画村にアクセスすることができてしまいます。なんてことだ。

 これを防ぐのがIPブロッキングです。我々がインターネットを利用できるのはインターネットサービスを提供している事業者(プロバイダ)がいるからなのですが、IPブロッキングとは、プロバイダがブラウザから飛んでくるパケットを監視して、宛先が漫画村のものであるものは捨ててしまう、ということを言います。こうすることで、IPアドレスを知っていても漫画村にアクセスできなくなります。めでたしめでたし。

 ......いや、これって完全に検閲でしょ? 「中身を見てないから問題じゃない」という話じゃない。特定の人同士の通信を妨害する行為って検閲以外の何物でもないじゃないですか。何言ってるの?

 郵便に例えると分かりやすくって、例えば、「政府が反社会的と認めた人物宛に発送された手紙や小包を、日本郵政が破棄した」というのは完全に政府による検閲ですよね。IPブロッキングもこれと同じ、「手紙や小包」が「パケット」に変わるだけです。

児童ポルノとは話違いすぎだろと言う話

 一方で、現在日本では児童ポルノ画像へのアクセスブロッキングを目的としたDNSブロッキングが既に実施されています。この時も「ブロッキングは違法行為なのではないか」と議論が紛糾したのですが、以下の記事に解説されているような理由でブロッキングが承認されています。

www.bengo4.com

刑法上、犯罪の構成要件に該当する行為であっても、

(1)正当行為(社会的に正当として許容される行為)

(2)正当防衛(侵害者に対して止むを得ず反撃する行為)

(3)緊急避難(自分や他人に危険が差し迫っている中で、危険を避けるために止むを得ず行う行為)

のどれかに該当する場合、違法性が否定される。

.

3)の緊急避難は、緊急事態においては、悪くない人に対する加害が違法でなくなる場面です。

<1>現在の危難があること

<2>やむを得ない回避行為であること(補充性)

<3>生じた害が避けようとした害を超えないこと(法益権衡)

の3つが求められます。

作業部会ではまず、児童ポルノがWebサイトにあげられている状況が、児童にとっての権利侵害を拡大し続ける状況であり、<1>現在の危難があると考えました。また、児童ポルノによる権利侵害は、通信の秘密の侵害よりも深刻である場合があるので、<3>法益権衡も認められる余地があると考えました。

そこで、児童ポルノの削除ができないなど他の方法がない場合には、<2>補充性もあるので、その場合には、緊急避難が成立すると考えました」

 つまり、児童ポルノ画像に対するブロッキングは緊急避難の3要件、「現在の危難」「補充性」「法益権衡」を満たしているために違法行為ではない、ということです。児童ポルノの場合、被害者の人権が将来にわたって回復不可能なほど深刻に傷つけられるため、この論理は理解できるものです。

 しかし、政府はこの「緊急避難」の論理を、漫画村などの海賊版サイトにも適用しています。(インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策(案))

 ただ、この資料に書いてあることを読んでも、緊急避難の適用は無理筋であると言わざるをえません。特に「補充性」の点。海賊版サイトの場合はブロッキングに頼らなくても、事業者の摘発により解決することができるはずです。児童ポルノ画像の場合は加害者が個々に点在してる、かつ被害の回復が困難なのであるに対し、海賊版サイトの場合はサイトを運営している主体があること、かつ損害賠償請求を行うことで被害回復可能であるはずです。現実にブロッキング対象として名指しされているAnitubeの運営者はブラジルで起訴されている訳で、この時点で補充性の要件は崩壊してる訳です。

 というか、この資料に書いてあること無茶苦茶ですよ。どう試算したら被害額数千億円になるんだ。スリルドライブじゃないんだぞ。

政府が緊急避難だと認めたからなんだという話

 それでこんなメチャクチャな資料をもとにNTTがブロッキングの開始を宣言した訳なのですが、もう、アホだなぁという感想しか抱かないです。

 政府が「これは緊急避難だぞ」と言っても、実際に司法判断を行うのは政府とは独立した裁判所となるため、ブロッキング実施により普通に摘発されて起訴、有罪判決なんて普通にあり得ます。そうなっても政府は何もしてくれませんよ。

 起訴される人も、ブロッキング判断を下した経営陣だけでなく、ネットワーク機器にブロッキングを設定した現場技術者が起訴される可能性だってある訳です。限りなく黒に近いブラックな行為を、NTTは社員に強いるんですかね。

 疲れたので以上。

映画「セッション」がマジでヤバかった

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いやぁ、バーフバリ最高ですね。人グワーッ建物グワーッ武器バッサーッの連続に圧倒されて偏差値が3になり字が読めなくなりました。

「もっといい映画を観たい」という本能だけの存在になった僕はヨダレを垂らしながら近所のTSUTAYAに足を運んだのですが、レンタルしたのは「セッション」。以前から興味あったのですが、この機会に借りてみることにしました。

いやぁ、セッション最高ですね。ドラムドシャーン車ガチャーンハゲブワーッの連続に圧倒されて偏差値がアンダーフローして236になりました。バーフバリが鉄球バチーンってぶつけられるような「面」で圧倒される映画だとすれば、セッションはアイスピックでザクザクされるような、切れ味鋭い「点」の映画でした。

米国随一の音楽学校に入学したものの、クラスから孤立し孤独にドラムの練習に打ち込むニーマン。彼を見出したのは、音楽学校の中でも名高い指導者であるフレッチャー(ハゲ)。ニーマンはフレッチャー率いるスタジオバンドに誘われることになるのだが、そこでニーマンは、フレッチャーの精神的・肉体的暴力を伴う苛烈な指導を目の当たりにする…

この映画は、若きドラマーであるニーマンと超スパルタ教師・フレッチャーの闘いを描いた作品となります。「でもどーせ二人は和解して、最後は仲良く最高の演奏をしてハッピーエンドなんでしょ?」と思うあなた。そんな凡百な作品がアカデミー賞作品賞にノミネートされるはずがありません。物語は二転三転急転直下し、最後には予想のつかない展開に。この二人の闘いの結末に度肝を抜かれることは間違いないです。

ネット上の感想ではあまり触れられていませんが、この映画の映像もかなりヤバイですよね。極端な色調に統一された画面、顔やドラムのアップを多用する演出、そして痛さ... どの要素も緊張感を演出するのに一役買っていると思います。お家で鑑賞するときには、ぜひ部屋を暗くしてください。

ところで、セッションを語るに欠かせないのは、その闘いの結末が描かれるラストの9分間。言うまでもなくこの映画のクライマックスなのですが、登場人物によるセリフがほとんどありません。動きと表情だけでほぼすべてを物語るのですが、それ故に、見る人によってある程度解釈の振れ幅があるような気がします(監督のインタビューを読むに、おそらく意図的なもの)。というわけで、以下、自分なりのこの映画のラストシーンの解釈を書いていきたいと思います。当然ながら以下ネタバレ注意。未見の方はいますぐレンタルショップに駆け込んで鑑賞してからお読みください。

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僕とソシャゲとメギド72

ソシャゲってガチャ回すために金を一杯つぎ込まないといけない点はよく問題視されますが、それと比べて、ほとんどのゲームが「周回」の名のもとに時間をドブに捨てることを強要するデザインになってることは、あまり話題にならない気がします。

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読書感想文 『競馬の終わり』

 競馬やってるって言うと「え、この人キモオタっぽい見た目の上にギャンブル依存症とかマジ引くんですけど」みたいな顔された上に実際に距離20mぐらい置かれその後一切目も合わせてくれないんですけど、競馬の一番の醍醐味ってギャンブル性じゃなくて、生き物が主役だからこそ存在する「何が起こるかわからない」感だと思うんですよね。10年以上前にJRAのCMで明石家さんまが「サプライズ!」とか連呼してたと思うんですけど、アレです。時として想像を絶する事態が起こるのが競馬なんです。

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読書感想文 『スチーム・ガール』

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 問題です。白米に最も合うおかずは何でしょう?

 そうです。明太子です。

 日本人の主食たる白米も、福岡の特産物たる明太子も、それ単体でももちろん美味しいものではありますが、一緒に食べるとあら不思議、明太子の持つ塩辛さが、白米の持つ甘さや芳醇な香りが、互いの味を引き立てるのです。甘さに甘さを組み合わせてもダメ、しょっぱいからこそ甘さが際立つのです。白米に卵を組み合わせるやつは素人なんです。

 では次の問題です。

 百合小説にもっとも似合う舞台設定は何でしょう?

 そうです。スチームパンクです。

 百合もスチームパンクも、それ単体でももちろん美味しいものではありますが、一緒に摂取するとあら不思議、スチームパンクの持つ油や蒸気の蒸せ返るような臭い、錆びた鉄の質感の中にあってこそ、清らかで甘い少女同士の恋愛感情が際立つのです。常識ですよね。

 しかし、こうも最高な「百合スチームパンク」小説は、この世にほとんど存在しません。何故? この組み合わせが最高なのは世界中誰もが知る常識なのに。このあまりにも不自然な状況は、やはり現政権による出版業界への圧力が存在していることの動かぬ証拠だと言わざるをえません。

 そんな中、「百合スチームパンク」ど真ん中の作品が、昨年の10月に刊行されました。『スチーム・ガール』です。

 舞台はゴールドラッシュに沸く、アメリカ西海岸の港町。飛行船が行き交い、建設用や縫い物用の蒸気甲冑が人々の暮らしを支えている世界で、主人公のカレンは"縫い子"––––を隠れ蓑にした娼婦として働いている。そんな彼女が住む娼館に、一人の少女・プリヤが逃げ込んできた。インドから奴隷娼婦として売り飛ばされた彼女に、カレンは一目惚れしてしまう。そこに立ちはだかるのは、電気手袋を操るプリヤの主人・バントル。愛するものを守るため、カレンは立ち上がる... というのが大まかなストーリー。

 16歳の少女が娼館で働いているというのは冒険活劇としては割とキツめの設定だと思うのですが、それに関する直接的な表現はないのでご安心を。それに、カレン自身(この娼館がかなり健全な運営がなされているというのもあり)自分の境遇に対して悲壮感はなく、彼女の同僚もそこそこ健康的な生活を送っています。

 ストーリーの軸となるのは、カレンとバントルとの対決、そしてカレンとプリヤの恋愛となります。あまり恋愛小説を読む方ではないのですが、この小説の恋愛描写は、まるで小さな高級菓子のように、主張し過ぎる事なく瑞々しい甘さを伝えてくれます。19世紀アメリカ、同性愛者が大手を振って歩くなど考えられなかった時代で、プリヤへの思いを募らせるカレンの心が、少女らしく爽やかに、ストレートに描かれているところがなんとも尊いです。

 また、この小説には、同性愛以外にもマイノリティ要素を持つ人物が多数登場します。同じ娼館で働く人には性自認が女性の男性(!)がいますし、用心棒は解放奴隷の中年男性。そして物語を動かすのは黒人の副保安官と、彼の相棒のインディアン。様々なバックグラウンドを持つ人々が、渾然一体となって悪党に立ち向かっていく痛快な物語となっています。

 ストーリーもさる事ながら、文章の美しさも目を引くところ。通常SFって固有名詞をふんだんに使ったりバッキバキに堅い言葉を使ったりして目が滑りまくるのですが、本書に関してはカレンの一人称視点で進むため、文体はかなり読みやすいです。そして表現の美しさ。雨で濡れたシャツを「まるでクラゲがへばりついているように」と表現したり、黒人警官が黒いコートにくるまって憮然として座っているのを「カラスがいやいや人間の姿になったよう」と表現するなど、さすがヒューゴー賞作家だなぁという感じです。

 全体的にすごく楽しい小説だったのですが、一点だけ。あらすじに「カレンは蒸気駆動の甲冑機械を身にまとって立ち向かう!」と書かれていたり、表紙にもそれらしき機械がデカデカと書かれてたりしますが、カレンが甲冑機械を身に纏うシーンは作中にほとんどありません。あらすじを鵜呑みして、スチームパンクロボアクションを期待すると肩透かしを食らうかも。

 しかし、スチームパンクx百合xロボアクションなんて絶対最高の組み合わせになるのに、どうしてこの作品でもそうしたところに踏み込めなかったのでしょうか。やはり、イルミナティの力がこうしたところにも及んでいると言えるのではないでしょうか。