打ち首こくまろ

限界オタクの最終処分場

Silent Jokerの歌詞考察、または真壁瑞希とかいうジョーカー

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 「Silent Joker」、めっちゃいい曲ですね... 身体はおっさんになっても心はまだまだ中二病です。10年前の僕がこの曲を手にしてたら誇張抜きで1日50回は聴いてました。マジで。この時期に聴いてたら本当に性癖も人生も狂わされるところだった... って、もう狂ってるやないかい! ガハハ。

 過剰なまでに煌びやかでゴシックで激しい音に心動かされるのはもちろん、歌われているのは「言い出したくても言い出せない恋心」というのがまた良い。「もっと上手に伝えられたら...」「素直になりたい」と歌った後に続くのが「月が綺麗な夜ですね」ですよ。もう臨界点寸前まで思いが溢れそうなのに、それでも素直な言葉を伝えることができないんですよ。はぁ。好き。

 さて、歌詞に何度も出てくるジョーカー、「切り札そろそろ見透かして」なんて言葉と共に歌われるものですから、「ジョーカー」=「切り札」=「恋心」、つまり「今あなたのハートの真ん中に Silent Joker」という歌詞は「あなたにこの恋心を打ち明けたい」という比喩表現に聞こえそうですが...

 「切り札」=「恋心」なのは間違いないと思いますが、ここでは少し違う解釈をしていきたいです。


 トランプゲームの中で最強のカードを「切り札」と呼びますが、切り札はゲームのルールによって変わってきます。"スペード"のようにジョーカーが最強の切り札として扱われるゲームもありますが、"ナポレオン"ではゲームによって毎回ランダムに切り札が変わりますし、"コントラクトブリッジ"ではプレイヤー間のやり取りによって切り札が決定されます。また、"ババ抜き"におけるジョーカーは、最後まで手元に残ったら負けとなってしまう、最も忌避すべきカードです。"ユーカー"というゲームで最強の切り札として導入されたという歴史的経緯はあるものの、今日では「ジョーカー」=「最強のカード」という図式は必ずしも成り立ちません。(以上、たった今Wikipediaで調べた付け焼き刃の知識)

 では、ジョーカーとは何か。多くのゲームでジョーカーが担っている役割、それはワイルドカードです。

 ワイルドカード、つまり「何にでも姿を変えられるカード」です。"ポーカー"でスペードの10、Q、K、Aが手札にあるところにジョーカーが入った場合、ジョーカーをスペードのJとみなすことで、通常ならノーペアの手札がロイヤルストレートフラッシュに姿を変えます。"大富豪"でも、同じ数字が2枚のところにジョーカーを加えることで、3枚組の扱いで場に出すことができます。一枚で出す時には2よりも強い最強のカードとして出すことができますが、スペードの3には負けてしまったり、ジョーカーだけで上がってしまったら負けになってしまったりします(もしかして、この辺ってローカルルールですか?)。"7並べ"でも、ジョーカーはどのカードの隣にも出すことができて、その隣にカードをつなげていくことができます。

 数字もスートも不定、ゲームや状況によって、最強になったり最悪のカードになったりもする。ジョーカーというのはそんなカードです。そして多くの場合、ジョーカーの解釈のされ方は、そのジョーカーを持ったプレイヤーに委ねられています。例えば"ポーカー"の例では、ロイヤルストレートフラッシュの可能性に気づけないプレイヤーは「スペードの8」と見做して宣言して、ただのフラッシュにしてしまうこともあるでしょう。"大富豪"でも"7並べ"でも、ジョーカーの解釈は完全に自由で、それを手にしたプレイヤーが、好きなようにジョーカーの数字とスートを宣言し行使すれば良いわけです。

 曲に戻りましょう。

 一番の歌詞、自分の心を探ろうと近づいてくる「あなた」、「小さな傘の中で二人っきり」、「鼓動がバレちゃうほど」に近い距離感、そして、

今あなたのハートの真ん中に Silent Joker

 「あなた」に向けてそっと配ったカードは、切り札でもスペードのエースでもなく、物言わぬワイルドカード。つまり、「私の感情の解釈はあなたに委ねる」という意味合いでしょうか。

 いや、違います。「Silent Joker」は行き場もなく溢れてしまうそうな恋心を歌った情熱的な曲です。だとするなら、配ったのはワイルドカード、この何にでも解釈できるカードを配ったとしても、感じ取ってほしい感情はたった一つの筈。つまりこの部分、

 「不器用で勇気もなくて私からは何一つ言葉を伝えられないけど、どうかあなたは私の恋心を分かってほしい」

 という風に解釈できませんか!?

 伝えたいことは伝えきれないほどあるのに、素直に言葉にできなくて、雨音に声がかき消されるほど小さな声でしか伝えられなくて、「月が綺麗な夜ですね」なんて回りくどいことしか言えなくて、私からはそんな、何にでも解釈できそうなジョーカーをあなたに配るだけで精一杯。でも、伝わってほしい、分かってほしい。もしかしたらあなたは私の事を、まるでジョーカーに描かれているような白化粧をしたピエロみたいに、何を考えているのか分からない人間だと思っているのかもしれない。だけど知ってほしい。ポーカーフェイスな私が持つ切り札を、そろそろ見透かしてほしい... というような。

 そう捉えるならばこの曲は、自分の激情を相手に伝えられない、限りなく切なくて激しいラブソングということになります。はぁ。好き。


 以上、「Silent Joker」の歌詞考察をしましたが、この曲で歌われている感情ってまんま真壁瑞希に当てはまりますよね。まぁソロ曲なんだから当たり前ですけど。しかし、この曲の歌詞によって、真壁瑞希のどこが魅力的なのか、やっと言語化できたと思います。それは、真壁瑞希もまたジョーカーであるということ。

 常に無表情、言葉からも感情の浮き沈みが読み取りにくい。そんな外部条件から内面のキャラクターを読み取りにくい彼女だからこそ、フリフリぽわぽわのスカートからビシッと決めたモノクルにタキシードまで、あらゆる役柄や服装が似合ってしまいます。まるでワイルドカードが全てのカードに姿を変えるように。

 しかし、彼女は好き好んで無表情でいるわけではありません。彼女はあまり感情を出せないことについてコンプレックスを持っていて、実際はやる気に満ち溢れていて、誰よりも勝負事に熱くて、そして火の付くぐらい情熱的な心の持ち主、人並みに喜んだり悲しんだりする彼女の心もまたあらゆる形に姿を変えます。しかし、提示されるのはいつもポーカーフェイス。そのなんとでも解釈できる表情から、彼女が今思っていることはなんなのか、本当の感情は何なのか探りたくなるような、そんなミステリアスで放っておけなくなるような所が、彼女の魅力の一番コアな所なのではないでしょうか。

 あー、なんか結構気持ち悪い文章になってしまった。でも「HOTCHPOTCH FESTIV@L!!」終演後に酔っ払いながら友人に「いやー真壁瑞希は絶対カッコイイ系の曲も似合うって、ポカポカやインザネも良かったけど次はカッコイイ系の曲を聴きたいよ〜分かるよなぁ?」と延々絡んでドン引きされた3ヶ月後にまさかこんな最高な形で真壁瑞希のカッコイイソロ曲が出てくるとは夢にも思わなかったんですよ、マジで。だから許してください。作詞の中村彼方さん、作曲・編曲のANCHORさん本当にありがとうございます。