打ち首こくまろ

限界オタクの最終処分場

読書感想文 『スチーム・ガール』

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 問題です。白米に最も合うおかずは何でしょう?

 そうです。明太子です。

 日本人の主食たる白米も、福岡の特産物たる明太子も、それ単体でももちろん美味しいものではありますが、一緒に食べるとあら不思議、明太子の持つ塩辛さが、白米の持つ甘さや芳醇な香りが、互いの味を引き立てるのです。甘さに甘さを組み合わせてもダメ、しょっぱいからこそ甘さが際立つのです。白米に卵を組み合わせるやつは素人なんです。

 では次の問題です。

 百合小説にもっとも似合う舞台設定は何でしょう?

 そうです。スチームパンクです。

 百合もスチームパンクも、それ単体でももちろん美味しいものではありますが、一緒に摂取するとあら不思議、スチームパンクの持つ油や蒸気の蒸せ返るような臭い、錆びた鉄の質感の中にあってこそ、清らかで甘い少女同士の恋愛感情が際立つのです。常識ですよね。

 しかし、こうも最高な「百合スチームパンク」小説は、この世にほとんど存在しません。何故? この組み合わせが最高なのは世界中誰もが知る常識なのに。このあまりにも不自然な状況は、やはり現政権による出版業界への圧力が存在していることの動かぬ証拠だと言わざるをえません。

 そんな中、「百合スチームパンク」ど真ん中の作品が、昨年の10月に刊行されました。『スチーム・ガール』です。

 舞台はゴールドラッシュに沸く、アメリカ西海岸の港町。飛行船が行き交い、建設用や縫い物用の蒸気甲冑が人々の暮らしを支えている世界で、主人公のカレンは"縫い子"––––を隠れ蓑にした娼婦として働いている。そんな彼女が住む娼館に、一人の少女・プリヤが逃げ込んできた。インドから奴隷娼婦として売り飛ばされた彼女に、カレンは一目惚れしてしまう。そこに立ちはだかるのは、電気手袋を操るプリヤの主人・バントル。愛するものを守るため、カレンは立ち上がる... というのが大まかなストーリー。

 16歳の少女が娼館で働いているというのは冒険活劇としては割とキツめの設定だと思うのですが、それに関する直接的な表現はないのでご安心を。それに、カレン自身(この娼館がかなり健全な運営がなされているというのもあり)自分の境遇に対して悲壮感はなく、彼女の同僚もそこそこ健康的な生活を送っています。

 ストーリーの軸となるのは、カレンとバントルとの対決、そしてカレンとプリヤの恋愛となります。あまり恋愛小説を読む方ではないのですが、この小説の恋愛描写は、まるで小さな高級菓子のように、主張し過ぎる事なく瑞々しい甘さを伝えてくれます。19世紀アメリカ、同性愛者が大手を振って歩くなど考えられなかった時代で、プリヤへの思いを募らせるカレンの心が、少女らしく爽やかに、ストレートに描かれているところがなんとも尊いです。

 また、この小説には、同性愛以外にもマイノリティ要素を持つ人物が多数登場します。同じ娼館で働く人には性自認が女性の男性(!)がいますし、用心棒は解放奴隷の中年男性。そして物語を動かすのは黒人の副保安官と、彼の相棒のインディアン。様々なバックグラウンドを持つ人々が、渾然一体となって悪党に立ち向かっていく痛快な物語となっています。

 ストーリーもさる事ながら、文章の美しさも目を引くところ。通常SFって固有名詞をふんだんに使ったりバッキバキに堅い言葉を使ったりして目が滑りまくるのですが、本書に関してはカレンの一人称視点で進むため、文体はかなり読みやすいです。そして表現の美しさ。雨で濡れたシャツを「まるでクラゲがへばりついているように」と表現したり、黒人警官が黒いコートにくるまって憮然として座っているのを「カラスがいやいや人間の姿になったよう」と表現するなど、さすがヒューゴー賞作家だなぁという感じです。

 全体的にすごく楽しい小説だったのですが、一点だけ。あらすじに「カレンは蒸気駆動の甲冑機械を身にまとって立ち向かう!」と書かれていたり、表紙にもそれらしき機械がデカデカと書かれてたりしますが、カレンが甲冑機械を身に纏うシーンは作中にほとんどありません。あらすじを鵜呑みして、スチームパンクロボアクションを期待すると肩透かしを食らうかも。

 しかし、スチームパンクx百合xロボアクションなんて絶対最高の組み合わせになるのに、どうしてこの作品でもそうしたところに踏み込めなかったのでしょうか。やはり、イルミナティの力がこうしたところにも及んでいると言えるのではないでしょうか。