打ち首こくまろ

限界オタクの最終処分場

ミリシタ真壁瑞希出番多杉内

 

 昨日突如実装された真壁瑞希のSilent Joker、MVもカッコよくて、コミュもまぁまぁ良くて、まぁまぁ堪能させてもらったけど、やっぱりこのモヤモヤは消えない。真壁瑞希が最推しなのにも関わらず。

 何がモヤモヤするって、単純に真壁瑞希の曲がミリシタに実装され過ぎという点。

  • 2018/09/29 ...In The Name Of。 ...LOVE?
  • 2018/10/22 ラスト・アクトレス
  • 2019/01/04 Raise the FLAG
  • 2019/07/23 dans l'obscurité
  • 2019/09/03 赤い世界が消える頃
  • 2019/10/12 Silent Joker

 この1年で6曲も。メインコミュは月2回更新になったとはいえ、一年間で実装されるのは24曲。52人いるミリオンライブで一年足らずで2週目が来るのは明らかにハイペース。ユニット曲もこの一年で実装された24曲のうち、4曲で真壁瑞希が参加している。当然イベントコミュにも登場している。どう考えたって出過ぎている。ラスト・アクトレスはTBによって勝ち取った報酬でイレギュラーだとしても、その結果が出たのは2018年の1月。それだけ猶予があればこの偏りは何とか出来たのではないか。いや、偏らないように最大限頑張ったけどこの結果になってしまいました、という可能性もあるんだけど、こんな事になってしまう事情って、一体どれだけヤバい事情なんだと勘ぐってしまう。

 真壁瑞希の出番が大きく偏っている事で不満なのが2つあって、第一は真壁瑞希の曲の資産がハイペースで消化されていてもうほとんど残っていないこと。デフォルト曲で実装された「Sentimental Venus」を始め、「Growing Strom!」も「Raise the FLAG」も、TAで勝ち取った「赤い世界が消える頃」も、もう既にミリシタ内に登場している。残りは何年後になるのか分からないメインコミュ3周目での「POKER POKER」、コミカライズの内容と深く結びついているため実装されるかどうかも怪しい、そもそもコーラスでしか参加していない「アイル」、そして「Cut. Cut. Cut.」しかない。資産が消費され過ぎて、もう今後実装される曲がほとんど残っていない。単純に、先の楽しみが無くなってきた。

 そして2つ目は、実装を待っている間にワクワクする事が無くなってしまう事。メインコミュ1周目が来た時にはめちゃくちゃ嬉しかったけど、それは他のアイドルのメインコミュが実装されるのを横目にして「真壁瑞希のメインコミュは果たしてどうなるんだろう...」とワクワクし続けられたから。その助走の期間があるから、いざ実装された時に本気で喜べるし、おおこう来たのか! という驚きも持てるし、待った甲斐あったなぁと思うし、感動もより深くなる。EScapeの時もそう。ダークファンタジー、青春、特撮ヒーローと来て、真壁瑞希が参加するユニットはどんなテーマになるんだとワクワク出来た。その時間は自分にとって、とても大切なもの。

 だけどこの一年、真壁瑞希のまだ見ぬ出番に対してワクワクする事が無くなった。あまりにも登場する頻度が高過ぎて、噛みしめる前に、次の出番を待ち望む前に「次」がきてしまう。自分はこれでは楽しめない。MTWという新シリーズでも第一弾を飾ってしまった事も辛い。属性混合になるであろうユニット、その組み合わせを妄想してワクワクするチャンスも奪われてしまった。(そう考えると、トップバッターを貼る事の多い春日未来Pや七尾百合子Pにも同じようなつらみを抱えている人がいるかもしれない)

 はっきり言って、年明けの「Raise the FLAG」以降、真壁瑞希の曲がミリシタに実装されてもほとんど嬉しくなかった。それはこの「Silent Joker」もそう。52人いるから出番の一つ一つが貴重。そのはずなのに、こんなにハイペースで出番が固め打ちされると全然そう思えなくなるし、全く有り難みがない。言葉を選ばずに言えば、ミリシタの真壁瑞希に飽きてきている。あまりにも供給が多過ぎて食傷気味なんだ。

 「出番が多過ぎてつらい」というのは人によっては贅沢な悩みに映るかもしれないし、気分を害する人もいるかもしれない。でも、現実として嬉しくない。いつサービス終了が来るか分からないソシャゲでは、推しの出番が早めに来る事に越したことはない、という意見は、一般論としてはわかる。ただ、例えばミリシタが2年以内にサービス終了するとは全く思えないし、そんな状況でここまで出番が集中しても嬉しくはないし、何故? という思いが拭いきれない。

 まぁ現実として真壁瑞希の出番はここまで消費されてしまったわけで、今後は大きく出番を減らすことになる。中谷育さんはトゥインクルリズム以降、1年半以上にわたってイベントに登場していない(!)ようだが、それくらいは覚悟をしている。というか、その方がいい。今年中に「Cut. Cut. Cut.」が実装されてしまったら、何をモチベーションにミリシタを続けていけばいいんだろうか。

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 それはそうとSilent Jokerのイケ真壁めっちゃカッコいい。でもミリシタではイケ真壁オンリーで、かわ真壁の出番がほとんどない気がするなぁ。

アイマスライブのマナーについて本気出して考えてみた

 別に発言された方が炎上目的だと言うつもりは毛頭ないのだが、ライブマナーに関する話は定期的に話題に上がる超絶人気コンテンツなのは間違いない。何故人気になるのかというと、この手の話は不毛で終わりのないものだから。不毛な話は人をイライラさせる。イライラさせる話題は人を強く惹きつける。世に蔓延る炎上コンテンツと全く同じ構造になっている。

 特にアイマスライブのマナーの話題では様々な話題が切り分けもされずごちゃ混ぜになって語られており、警察側は極悪厄介藁人形に向けて石を投げ、厄介側は究極警察藁人形に釘を刺す、藁人形論法の見本市と化している状態。まさに地獄の門みたいに煌々と赤く絶え間なく燃え続けているのだ。上手くいけばこの話題でPV稼いでメイクマネー出来る可能性がある一方、健全な一般人はこんな地獄とは距離をとって日々を過ごすのが身のためだ。イライラしまくって坂上忍状態になるだけでマジで何の特にもならんぞ。

 ただ、一方でライブに参加する人には一度、ライブマナーについて真剣に考えて欲しいなぁという気持ちもある。というのも、ライブは性善説で成り立っているから。性悪説でライブを運営しようとしても、とても現実的ではない。そして、ライブで性善説が成り立つのは、観客の間でマナーが共有され、それが育まれているからだ。

 このマナーが共有されなくなったり無視されたりしてしまうと、新規の客が入って来づらくなったり、無茶苦茶なライブになって楽しめなくなったり、レギュレーションがガチガチになったり、最悪ライブが成立しなくなってしまう。「レギュレーションに書いてないなら何をやってもいいでしょ」というものでもない。それが成り立つのは他の大多数の人がちゃんとライブマナーを守っているからで、全員がレギュレーションのギリギリを攻めようとする状態になるとたちまちそのライブは崩壊する。だから、みんながマナーを守る事が大事なのだ。

 だからと言って、マナーを聖典のように振りかざして他の観客を粛清して回るのも良くない。マナーは他の人を攻撃する材料なのではなく、一緒にライブの場を良くしていこうと働きかける材料であるべき。また、自分がこうだと思うマナーを他人に押し付けるのも良くない。多くの人の合意が得られそうな内容を「ライブマナー」として扱うべきで、そしてその内容は、特定の人間ではなくライブ参加者全員で考えるべきだ。

 ちょっくらここは、ロックバンドのライブ歴13年かつアイマスライブ歴2年のジジィこと僕が、アイマスのライブマナーについて考えていく。多くの事は別にアイマスのライブに限った話ではなくなってしまったが、あなたがライブマナーについて考える材料の一つにしていただければ幸いである。ここではいくつかに切り分けて書いていく。

  • 演者と演目、観客に対するリスペクトの話
  • 指定席でのライブマナーについての話
  • UOサイリウムの色の話
  • 番外編: 「アイマスにはライブマナー警察が増えてきた!」という話題

演者と演目、観客に対するリスペクトの話

 ライブは観客も参加者であり、参加者はライブを成功に導く義務がある。というのも、観客の質によってライブの出来栄えは良くもなるし悪くもなる、とりわけ悪くする方向にはとても簡単に、徹底的に破壊し尽くせるからだ。

 自分が参加したライブではないが、ネットで見聞きして印象に残っているのがBEAT CRUSADERSというバンドが2007年に大阪でやったライブの話。こちらのライブレポとかを見てもらえばわかるが、典型的な「観客に破壊されたライブ」になっている。観客が、演者や曲にリスペクトを払わなければ、ライブは簡単に崩壊してしまう。

 だからこそ、ライブでは観客の一人一人のがリスペクトの心を持ち、演者がステージ上で表現しようとしているものを、出来る範囲で尊重しなければならない。これはライブマナーを考える上での大前提だと思っていて、全員がこの事を真っ先に考えるべきだと思う。「チケット代払ってるんだからいいだろ」「レギュレーション違反じゃなけりゃ何やってもいいじゃん」という以前の話。憲法を改正してこの条文を書き加えて欲しいというレベル。

 たまに「バラードで奇声を発したり家虎する人」の存在が話題になるが、その人はこのリスペクトが欠けているという話になる。それは、演者の表現をいとも簡単に破壊してしまう行為であり、避けるべきだ。「じゃあどれくらいアップテンポな曲なら声出してもいいの?」という意見については、「演者の意図を汲め」としか言えないし、それがわからないのであればライブに来るべきでは無いと思う。みんなで作り上げる場なので。

 また、「興味ない曲で座ってスマホいじったり隣の人と私語をする人」も同様。演者に対して普通に失礼だし、その曲を楽しんでいる、一緒にライブを作り上げている周囲の人たちに対するリスペクトもない。

 一方で、ここでいわゆる「地蔵」を咎めるつもりはない。大事なのは演者のパフォーマンスを壊さないようにする事、演者にリスペクトを送ることで、それを満たしている範囲であればどんな楽しみ方でも自由だと思う。

指定席でのライブマナーについての話

 オールスタンディングのライブであれば、基本的には自由でいいと思う。飛び跳ねるもよし体を反らすのもよしダイブするもよしグルグルもよしモッシュするもよし俺によしお前によし。ただし法に触れずライブを壊さない範囲に限る。

 それが成り立つのは、オールスタンディングが自由に移動できる場からだ。自分に合った場所でライブを楽しむのがオールスタンディングであり、モッシュしたければ前に行き、じっくり見たいのであれば後ろに行けばいい。目障りな人間がいれば移動すればいい。極論、不慣れなのに前方に行ってモッシュに巻き込まれて骨折してもそれは自己責任。それは、あなたがわざわざその危険な場所を選んだからだ。

 指定席のライブは決定的に違う。席は抽選で決定され、ライブ中はそこを動く事ができない。自分の視界の前方にUOグルグルしたりして視界を妨げる人間がいると、その環境から逃れる術が無い。このような環境では、自由な行動をとってもいいという正当性が無くなる。「嫌なら他に行けばいいんじゃ無いですか?」とは言えないからだ。望む望まざるに関わらず抽選で席が決定されてしまう指定席ライブでは、鑑賞する際には周囲(特に後方)には配慮をするべき。オールスタンディングライブでやっていたノリは、そのまま指定席ライブに持ち込む事はできないのだ。

 一方で、この事は後方の席の人が前方の人を攻撃する材料ではない。例えば「背が高いから屈め」と言ってはいけない。それはあなたの背が低いからであり、不運にもあなたの前の席となってしまった人に、屈んでライブを見ろと言える正当性はない。「肩より上に腕を上げないでもらえますか?」とも、おそらく言えないだろう。それによって視界が大きく塞がれるわけではない以上、その人のライブの楽しみ方を制限する理由は多分無い。

 結局、制御不能な要素が多い指定席でのライブでは、必ずしも快適な鑑賞体験を保証されることはない。大事なのは、お互いがお互いに配慮することだ。理不尽なことでなければ、多少のことには目を瞑る寛容な心もまた、ライブを楽しむためには重要だと思う。

UOサイリウムの色の話

 一番言われるのがUO(ウルトラオレンジ)。UOUOの折るべきタイミングで折るべきであり、それ以外のタイミングで折るべきではない。盛り上がる曲でも「蒼い」曲では折るべきではない、という主張。

 上記のようなライブマナーと同じ文脈で語られる事が多いけど、この話はマナーの話ではない。マナーとは「日常的に生きていけば身につくもの」、あるいは「少し考えればわかること」に限定するべきで、UOの件はそこに入れ込むのはハイコンテクスト過ぎる。

 僕のアイマスライブ初参戦は2017年のハッチポッチフェスティバルDay2なのだけれど、そこで演奏された「アライブファクター」でUOを折った(そして連番者の友人に注意された)。「蒼い曲は会場が蒼に染まるから美しい」というのは、2,3回参加してやっと「あぁ、そういうことなんだな」と分かる。でも当時の自分は、何故そこで折ったらダメなのか分からなかった。周りにも折ってる人いたし、他の曲でも盛り上がったタイミングでみんな折ってたし。

 「この曲なら折ってもいい、折ったらダメ」というのは、新規に入ってきた人にとってはとても分からない。そういうものをライブマナーの範疇に入れるべきではない。そんな風に肥大化したマナーは他の人を攻撃する材料にしかならず、本来の目的を逸脱してしまう。

 これは他のサイリウム芸も同様。先日のシンデレラ7th幕張公演で「小さな恋の密室事件」でみんなサイリウムの色替えをしてなかった、と嘆くツイートを見かけた。気持ちはわかるのだが、これも同様にライブマナーの話ではない。ライブの質をよりよく高めるための「努力目標」だと考えるべきだと思う。

番外編: 「アイマスには警察が増えてきた」という話題

 当たり前の話で、アイマスはアニソンコンテンツの中でも動員人数が多く、公演回数も多い。当然、観客間のトラブルもそれに比例して発生するし、他人のマナーに対して敏感な観客も多く参加する。ライブ後にお気持ち表明ツイートが多く観測されるのは別に自然な事だ。

 もう一つ、アイマスは10年以上の長く続いてきたコンテンツで、様々なタイミングで様々なバックグラウンドを持つ人が流入してきた多様性に満ちたものとなり、アメリカ風に言うならば「オタクのサラダボウル」状態にある。当然、世界情勢を見ればわかる通り、多様性はメリットだけでなく、様々な軋轢をも生じさせる。ライブマナーの件もその一つだろう。

 解決方法は2つ。1つはトランプばりに強権的な権力者(ライブ運営)にガチガチに全てのルールを決めてもらい、それにそぐわない人間を排除させる方法。もう一つは、このコンテンツの住人の間でお互いを理解するよう努力し、みんなで手を取り合ってライブをより良い方向へ進めていく方法。前者がいいと言う人は、多分そんなにいない。そんなライブは楽しくないから。だから、みんながライブマナーについて考えることが大事なのだ。

退職してみた2019

 タイトルの通り。と言っても、退職したのは結構前。最近ようやくメンタルが安定してきだしたので、これから転職したり就活したりする人のために、あと自分の備忘録としても書いておく。なお、この物語はフィクションです。

前職

 どこにでもある大手SIerに新卒入社。主にグループ会社からの受託開発を行っている。最近は一般市場向け案件に力を入れて爆死を繰り返している。

よかったところ

充実した新人教育

 集合しての新人研修が約3ヶ月、その後2年間は散発的に研修が組まれるなど、新人教育は徹底しており、充実していた。

 内容も、基本的なビジネスマナーから、開発・営業の実践研修までと幅広く、2年間を終える頃にはこの会社で行われる全業務の基礎を習得している、という人材になる。さすが総合職採用。

 反面、新人が2年間の間存在と消失を頻繁に繰り返すことになるので、新人を受け入れる職場からはすこぶる評判が悪い。しかし、新人の僕たちにはそんなことは関係ない。しゃぶれるモノはしゃぶり尽くそう。  

職場の人

 本当に、先輩方には良くして頂いた。コミュ障を煮詰めて固めたような入社当時の自分に対しても根気強く接してもらったし、構成管理の概念すらも知らなかった自分にgitを教えてくれ、そこからJenkinsを使ってのCI/CD環境構築を任せてもらった。正直、この会社じゃなかったら、この先輩たちがいなかったら、自分はエンジニアになれていなかったんじゃないかと思う。

 その他、ベテラン社員の人たちもほぼ全員温厚で、優しい人たちだった。別部署ではパワーがハラスメントしている民族がいるようだが、少なくとも自分の業務の範囲ではそのような人は一人も観測できなかったし、この会社では少数派だったんだろうと思う。  

福利厚生

 最強。特に家賃補助がチート級の能力を誇り、生きているだけで数万円の家賃補助が振り込まれる。その他、財形貯蓄や持株会の奨励金、確定拠出年金などオーソドックスな福利厚生は全て網羅している。

 さらに有給が年20日+夏休みの5日の計25日あり、ありすぎて使いきれなくて困るという贅沢すぎる悩みを抱えることになる。特にベテラン社員は有給の使い方がヘタクソで、年末になると有給消化のためベテラン社員がゴッソリ居なくなる。

転職のきっかけ

 非常にレガシー極まりないプロジェクトに突っ込まれた事がきっかけ。この記事の主旨とはブレるが、面白いのでちょっと書いてみようと思う。

 就職してから3年後、数十年前に開発されたあるシステムの更改プロジェクトに参画することになった。開発言語は当然C言語、それで実装されているのは独自実装の謎の通信プロトコル、仕様書は数千ページあるPDFファイル。この時点で泣き出したくなる。

 途中参画者がいきなり開発に入れる訳がないので、まずはテスト環境構築の業務を行っていた。僕たちは電車ではるばる2時間かけて、サーバの置いてある「研究所」なる施設まで赴き、残業しながら粛々とOSをインストールしたり、数十台あるNW機器のコンフィグをコンソールで接続して設定したり、数百本あるLANケーブルで数十台のサーバと数十台のNW機器を接続してサーバラック群を巨大な毛糸玉のように変貌させていた。(クラウド全盛期の昨今だが、レガシープロジェクトのレガシー人間が採用するテスト/商用環境は、当然オンプレミスであり、愛情のこもった手作業である)

 一回きりの構築ならまぁ大したことではないが、ある問題がある。このプロジェクトは予算がほとんどなく、本来テスト環境が6セット必要なところ、3セット分の設備しか揃えられなかった。しかしそれでも、テストしたい環境構成のパターンが6つある。じゃあどうするか。テスト環境のローテーションを決めて、一週間ごとにテスト環境の一つを解体して、そこにまた別のパターンのテスト環境を作るのだ。

 つまり一週間ごとに、僕たちは電車ではるばる2時間かけて、サーバの置いてある「研究所」なる施設まで赴き、残業しながら粛々とOSを再インストールしたり、数十台あるNW機器のコンフィグをコンソールで接続して修正したり、巨大な毛糸玉と化したサーバラックを一つ一つ解き、また数十台あるサーバとNW機器の間を数百本あるLANケーブルで接続し、再び巨大な毛糸玉を再構築するのだ。

 それだけではなく、このプロジェクトは炎上プロジェクトらしく、テスト工程に入っても仕様が決定していなかった。仕様が変わるとテスト環境も変わる。「仕様変わったから環境こうやって変えて。来週月曜日にはテストできるようにしてね(今は金曜日夕方)」なんて普通にあった。その度に休日出勤して、丹精込めて作った環境を再びバラバラにするのだった。ここは賽の河原か。折角構築した環境も、すぐに鬼によって粉砕される。それを分かっていながらも電車に乗って研究所に行き、残業しながら石を積んで帰って寝るだけの生活が数ヶ月続いた。

 お金があれば。何らかの仮想環境が使えれば。そのどちらかが叶えば、こんなしょーもない肉体労働をする必要なんてなかった。その歪みを僕が一身に受けているようなものなので、この時期は本当にフラストレーションが溜まっていった。

 数ヶ月経つと環境構築作業もだいぶ落ち着き、すわ、我が世の春到来か? と思っていたのだが、間髪なく絶賛大炎上中ロングラン公演大決定のテスト業務にぶち込まれる。僕が投入されたのは、その中でも性能試験、つまり、システムが仕様通りのスループットを満たせるかどうかをテストするチームだ。

 HTTPであれば負荷試験ツールなんて選びきれないほど世の中にあるのだが、前述した通りこのシステムは独自プロトコルを喋るので、それに対応する負荷ツールは世の中に存在しない。じゃあどうするの? と思った僕に手渡されたのは、開発チーム内で製造された独自の負荷試験ツールと、Excelで数千行にも及ぶ手作りのマニュアルだった。

 地獄だった。当然、負荷試験ツールはまともにテストされてないしマニュアルも極めて難解、システム自体も絶賛テスト中(炎上)、そしてテスト環境は賽の河原の石積みの果てに知能が5歳児並みに低下した僕たちが作ったのであちこちおかしい。よって、負荷試験はうまくいかない。うまくいかなくても、負荷試験ツールがおかしいのかシステムがおかしいのかテスト環境がおかしいのかツールの使い方がおかしいのかマニュアルがおかしいのか頭おかしいのか切り分けできないのだ。

 極め付けは、前述した通りテスト環境が限られているクセに、テスト工程が炎上しているため、どのテスト環境も使用予定が埋まっていて使えないこと。じゃあどうするかというと、みんなが残業終わって帰宅する午後10時から、みんなが出社する午前10時までの間、テスト環境をこっそり使わさせていただくのだ。2010年代も終盤になって、ただ「サーバが足りないから」という理由で、人間の方が徹夜するのだ。眠気を通り越して吐きそうになりながら、コンソール画面と向き合い続けた。

 「テスト終わったので使っていただいて大丈夫です!」と連絡を受けてさぁテストするぞと思ったら、テスト環境が滅茶苦茶になって崩壊していたこともあった。「次使う人のことも考えて使いましょう」という小学生でも出来る事が出来ない50代男児がいる事に驚いたのだが、この人も度重なる残業で幼児退行してしまったのだろうか。この時は孤立無援手探りでのテスト環境再構築で10時間を費やした。

 そんな古き悪きプロジェクトで過ごして約1年、気がつけば意味不明なプロジェクトで馬車馬のようにこき使われた思い出しかないし、エンジニアとしてのスキルもほぼ上がっていない。L2以下のレイヤのNW構築とかWiresharkで謎プロトコルの読解とかしかしてきてないし。もしかして、このまま自分はこんな調子で使い潰されるのでは? このままスキルが上がらない肉体労働ばかりさせられて、気付いた時には市場価値もないし、仕事が嫌だから転職する、ということもできなくなるのでは? という恐怖が沸き起こり、転職に大きく気持ちが傾くことになった。

 その他にも、会社の先行きに不安があったり、会社の人事方針に不信感を持ったり、労働組合が強すぎて逆に働きにくくなったり、色々あったが割愛。

転職して

 適当に2ヶ月ぐらい転職活動をしていた。テスト工程が落ち着いた辺りから業務をバレない程度にサボタージュし始め、定時に帰って面接に通ったりしていた。4社受けて最終的に2社から内定をいただいた。

転職先について

 今流行りのWeb系企業。正直、自分の実力では十分すぎるくらいの地位の会社だと思う。期待通りの実績を出せるか今でも不安。

働き方

 前職に比べて非常に働きやすい。裁量労働制なのだが、ひたすら残業して成果を上げろというプレッシャーは一切なく、むしろ定時内に帰ることを推奨される。業務量もそこまで多いわけではなく、のんびりと働いて、空いた時間で学習してさらに業務に生かすという、ポジティブサイクルを回すことができる会社だなと感じる。

 また、前職であったノー残業デーが無いのも非常にありがたい。好きな日に残業が出来るので、プライベートの時間を組み立てやすい。残業時間にも制限がないので、元気がある日に気兼ねなくバーストして働くことも出来る。前職では一々、上司と労働組合の顔色を伺う必要があった。

 そもそも、前職とは違い、自分達の手でプロダクトの仕様策定・設計・開発を行っているので、その開発の過程で忙しくなってしまっても、それは自分達の設計だったり開発のスキルがイケてないからということなので、「残業しなければならない」という事に対して納得感がある。前職ではPMの無能さのツケを払うために残業しているようなものだった。

 そういえば、前職では炎上したプロジェクトで残業フェスティバル真っ只中となったある日、残業させてくださいと上司(PM)に言ったら、またか、みたいな顔と同時に「まろみくん、稼ぐねぇ〜〜〜〜」と言われたのを多分一生忘れないと思う。誰のせいでこんな残業する羽目になったんでしょうね????

給料

 変わらない。給料upを目指して転職したわけではないので特に文句はない。

福利厚生

 下がった。有給日数は半分程度になったし、家賃補助も無くなったので、前職勤務時よりも質の下がる家に住まざるを得ず、QoLがかなり下がっている。無理のない範囲で成果を出して昇給し、借家をランクアップさせたい。

飲み物

 無料でコーヒーやお茶やコーンポタージュやコンソメスープが出てくるドリンクベンダーがあって最the高。

総合

 良い。

その他

SIerはやめとけ」という言説について

 よくSIerに就職をキメる新卒に向かって、哀れんだり、嘲ったりする風潮をネット上では感じるのだけど、新卒でSIerは別に悪くない選択肢じゃないのと思う。どんなレベルの新卒でもかなりしっかり教育してくれるし、そこで働くことである程度はスキルアップ出来ると思う。

 逆に、キラキラWeb系企業は即戦力を求める傾向にあり、ある程度のエンジニアリングスキルがなければマトモな会社には入れない。そうでなくても入れる会社は、そうでない程度のスキルの人が集まっている会社なので、低スキルを勇気と根性でカバーしてる運用のところが多いんじゃないかなぁと思う。お手本となる高スキル者が居ないわけだから。

 文句があって結局は転職することになったけど、初手SIerはまぁ悪くない選択だったんじゃないかと思う。

転職することについて

 新卒時にはこのまま終身雇用される気マンマンだったけど、レガシープロジェクトに入れられてから、ずっとぶら下がり続けるのはリスキーな選択だよなぁと強く感じるようになった。クソみたいな仕事ばかり回されて「もう辞めてやる!」と思っても、その時には特に市場価値のない冴えないオッサンになっている可能性が非常に高いし、そもそも大手SIerと言っても、定年時まで倒産せずに存続している保証なんてどこにもない。

 どの会社もそうで、数年後の未来は何も保証されていない。自然界と同じく、市場でも時代の変化に適応できた企業が生き残ると思うんだけど、じゃあどの企業が適応力があるのかと言われると外部からは全く分からないし、そもそも、変化の激しい時代を数十年切り抜けられる企業体ってほとんどないのでは? という気がする。自分としては、適応力を会社に求めるのではなく、自分が環境に適応できるようにせっせとスキルを身につけ、職を転々と出来る方が一番セーフティな気がする。これはどこの業界でもそうだと思う。

 じゃあ今の会社もいつか辞めるのかと言われると、そうではない。大事なのは職を転々とすることではなくて、職を転々としても生きていけるだけのスキルを身につけること。

EScapeとMythmaker、同じ曲だけど違う曲

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 ミリオンライブ6thライブツアーお疲れ様でした。埼玉でもお会いしましょう。

 僕が6thライブで一番期待していたのは、Princess公演での「咲くは浮世の君花火」と「Super Lover」と「リフレインキス」だったので、そのうち2つが聴けてマジで最高だった。本当に最高だったので、福岡のFairy公演には悪い意味ではなく、特に何も期待を持っていなかった。Princess公演の楽しさを上回ることは難しいだろうなぁと思ってたので。

 確かに、Princess公演の方が楽しかった。ただ、Fairy公演の方が圧倒的にヤバい。エモいとかではなく、ヤバい。とんでもないライブだった。

 これだけ衝撃的なライブは、自分がアイドルマスター初心者だった頃に参加した初星宴舞以来だった。

kokukoku.hatenablog.com

 久々に読み返してみると文章が稚拙だったり曲名間違えてたりするしコイツ最低だな。

 Fairy公演は衝撃的瞬間の連続だった。まさかのトップバッターD/Zealに始まり、まさかの流星群、弾き語り、餞の鳥。そしてミュージカル一本やってスパッと去っていく夜想令嬢。これまでのライブの流れを覆してソロ曲から始まる後半戦。Silent Joker、俠気乱舞。上げていったらキリがない。

 キリがないからここでは一点だけ濃厚に語りたい。それは3番目に登場したユニット、EScapeの4曲のセットリスト。

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 EScapeのステージは「I.D~EScape from Utopia~」から始まった。これまでのライブでも、ミリシタ実装曲から始まるユニットが多くを占めていた訳だが、曲調から考えてEScapeが「I.D」から始まることは驚きではなかった。

 しかし、1曲目が終わった直後、僕は凄まじい衝撃を受けることになる。

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 Mythmaker。

 マイフェイバリットソングの1つ。インダストリアルで徹底的に熱を排除した曲調、そこにソウルフルでかつ透明な歌声が乗る。ライブで歌われたら絶対に映える。一度でいいからライブで、生でMythmakerを聴きたい。Princess公演終了後、友人にそう熱く語っていた。

 まさかここで。EScapeのカバー曲には「Next Life」を激推ししていたのだけど、それとは違う、でも喉から手が出る程聴きたかった曲。あの極端に誇張されたドラムの音が聞こえた瞬間、衝撃と驚きと喜びでしばらく頭を抱えてしまった。

 ただ、そういう「自分とMythmaker」みたいなことを語りたい訳ではない。「Mythmakerの曲調と、EScapeの雰囲気ってすごいマッチするよね」みたいな自明のことを改めて言いたい訳ではない。「Mythmaker」を、このEScapeのステージで歌われることによって生まれる妙と凄さについて語りたい。

Don't speak carelessly アドリブなど挟ませず
いっそ「人形だ」と揶揄されてもskip it
Would you play? Would you bless? 望むように
この歌が呼ぶ よろこびたち
誰にも隔てないで Please flow like a dream
眩いほどに紡ぎあって
Uprise, euphoria...

 三浦あずさの歌う「Mythmaker」は、ステージに立つ者の矜持をシリアスに描いたものだ。その歌詞に描かれている姿勢は尋常ではない。チャンスを掴むために、バックステージを抜けて戦場に身を投じる。ステージに立てば、違う自分が目覚める。観客の期待に応えるために、その望まれる「姿」を「完璧」に演じきる。どこまでもこの歌よ響けと、祈る。プロ意識という言葉では生温い。描かれているのはまさに「Mythmaker = 神話を創る者」、ステージ上で伝説になろうとしている人間だ。

 一方でEScapeの世界観は「近未来の徹底した管理社会」であり、EScapeの3人は「管理社会を維持するために生産されたアンドロイド」だ。「Mythmaker」が描く「ステージ上のエンターテイナー」という世界観とは、本来は全く交わらない。

 しかし。

 Fairy公演での「Mythmaker」のイントロ。暗闇の中で空から光が降り、それが演者と重なると弾け、衣装に光が宿り、動き始める。これだけで観客は分かる。これはドラマCDの冒頭、3体のアンドロイドの起動シーケンスを、ステージ上で表現したものだ。起動した直後、そしてキサラギチハヤに出会う前。ステージに立つのは、そんなココロを持たないアンドロイドであり、この世界の支配者たるマザーの操り人形。そして、そんな彼女たちが歌う「Mythmaker」は、全く違う意味を持ち始める。

Don't speak carelessly アドリブなど挟ませず
いっそ「人形だ」と揶揄されてもskip it
Would you play? Would you bless? 望むように
この歌が呼ぶ よろこびたち
誰にも隔てないで Please flow like a dream
眩いほどに紡ぎあって
Uprise, euphoria...

 EScapeの歌う「Mythmaker」は、このユートピアを担うアンドロイドの姿を描いたものだ。「より良い社会を作りたい」という人間の欲望の果てに生まれたアンドロイドによる管理社会。インストールされたロジックとインプットされた入力通り、「あなた」が望むように働くアンドロイド。彼女らの動きは完璧に調律され、まるで美しいハーモニーのように響いて、そうしてこの世界は「幸福」に満たされる。そう信じて疑わないアンドロイドたちの歌だ。そう考えると、「Mythmaker」というタイトルさえ皮肉に感じてしまう。mythは神話、要はフィクションであり、「Mythmaker」とはつまり「ありもしない幻想を創り出す者」だ。

 1人の歌手を描いた歌が、歌い手が変わり演出が加わると、ディストピアを構成するアンドロイドを、暗喩を散りばめながら描く曲になる。

 ある曲が他の人にカバーされることによって、違う意味合いが生まれることはよくある。しかし、それは原曲のベクトルを基にして、そこに歌い手の心情や背景が上乗せされることによるものだ。この「Mythmaker」のように、ベクトルの向きを全く変えてしまって、同じ曲なのに完全に違う世界観が与えられる例を、僕は他に知らない。凄い。こんな芸当ができるのはミリオンライブ以外に無いのではと思うくらい凄い。

 「Melty Fantasia」を経て披露された「LOST」もそう。美しい思い出を振り返りながら、失恋の痛みを抱えて感傷的になる曲。しかし、EScapeのステージで披露された「LOST」は、それとは全く違う意味を持った曲になっていたことを、観客はみんな分かったはずだ。

 考えれば考えるほど唸らされる。ただカバーするだけでは無い、ステージ演出を付加させて観客にバックグラウンドを想起させることで、同じ曲ながら全く違う曲に生まれ変わらせる。こんな手法が存在することを知らなかった。仙台公演の時にセットリストをボロクソに叩いてしまい申し訳ないという気持ち。負けを認めると同時に、ミリオンライブのもつ底知れないポテンシャルに改めて感服するライブだった。

ミリオンライブ 6th 仙台公演を終えてのお気持ち表明

 平成最後のお気持ち表明です。

 ミリオン6thライブ 仙台公演2daysに行ってきた。いや、良かった。水中キャンディは一生聴けないと思ってたし、4 Luxuryの9:02pmはひたすらに歌が上手かった。サンリズム・オーケストラのラスサビで、でんちゃんがとびっきりのジャンプを楽しそうに決めていたのが今でも目に焼き付いてる。声も枯れた。全体的にはいいライブだったと思う。

 ただ、手放しで絶賛できるライブだったかと言われると、そうは全く思わない。一年半前のHOTCHPOTCH FESTIV@Lの時からアイマスライブに参加してるのだけど、正直、初めて不満が残るライブになった。

 不満の矛先はハッキリしていて、それはユニット毎に登場して数曲ずつ披露していった前半部分。自分としては、ライブの流れというか、盛り上がりの波の存在を完全に無視したその構成に、かなり厳しいお気持ちになってしまった。

 前半部分の流れは基本的には、

  • モニターで登場するユニットの発表
  • ユニットが登場して一曲演奏
  • MCとキャストの自己紹介
  • ASカバー曲の演奏
  • MC
  • 最後の一曲の演奏
  • 退場

 という流れになる。一曲歌う毎にMCや演出が間に挟まっているが、つまり前の曲の盛り上がりが完全にリセットされた状態で、次の曲を迎えるような構成になっていた。これが本当に勿体無かった。

 ライブはただ曲を演奏するだけじゃない。演奏される曲と曲、その間に熱気のバトンが受け渡されて、そこからライブだからこそ生まれる化学反応が起こる。盛り上がる曲が連発されて連鎖的に爆発が起こるのも、熱気渦巻く雰囲気を一旦引き取って静かなバラードが始まって一気に張り詰めた雰囲気になるのも、ライブの終幕に向けて徐々に感動的な雰囲気になっていくのも、全てライブだからこそ体感できる醍醐味だ。

 そして、だからこそライブで披露される曲はおしなべて素晴らしい。単独での存在だった曲が、セットリストの前後の文脈と役割を与えられてプラスαの輝きを見せる。その一度きりの体験が心に強烈に刻み込まれて、一生忘れられないライブになる。ライブというものはそれが楽しくて、それが楽しくてライブに行っている。

 6thライブの前半にはそれが全く無かった。一曲毎にMCが挿入されて流れが断ち切られ、間延びした雰囲気の中、義務として消化されるようにユニット曲が披露されていく。本当に勿体なくて、残念だった。ライブじゃなくてリリイベを見に来ているような感覚になった。花ざかりWeekendはミリオンライブが誇るキラーチューンだと思っているけど、それがあんな導入から披露されるとは。盛り上がりはしたけれど、あの曲が持つポテンシャルはこんなものじゃないはずで、とても悔しかった。

 不満はもう1つあって、それは次にやる曲が容易に予想可能だった点。ユニット毎に持ち曲が2曲しかないから当たり前なんだけど。だけど2ユニット目にCleaskyが出てきた時点で、ほとんどの人が残りのユニットの順番を察したと思う。

 自分としては、ライブでは「次はなんの曲をやるんだろう」というワクワク感も大事だと思っている。やってほしい曲を披露してくれた時の喜びもそうだし、予想外の角度から選曲された時の驚きも、ライブを彩る大事な要素だ。だから、ライブでは次の展開を予想できる要素を出来るだけ排除してほしい。もちろん徹底的に排除することはできないんだけど、6thの前半はあまりにも、後の展開の予想が出来過ぎて退屈だった。

 まぁ、6thライブは「ユニット要素を出来るだけ取り入れたものにする」というミッションがあったので難しかったと思う。ただ、ライブとしての完成度と、ユニットを表現するという任務の両立は難しいとは思うが、決してトレードオフではないのでもっと頑張って欲しかった。

 ライブ後半、ファンタジスタ・カーニバルのイントロが流れてきたときの爆発的な歓声、初恋バタフライが披露された時の息を呑む声とどよめき。Happy Darling->ロケットスター☆のハイスピードナンバーで会場を過熱させた後のサンリズム・オーケストラで爆発させる流れ。自分にとって印象的なシーンは後半のセットリストに偏っている。後半のセットリストは文句なかった。というか、出演者のパフォーマンスも、仙台公演全体の選曲も文句がないというか、完璧だった。それだけに、前半のユニット毎にブツ切りにされた構成が悔やまれてならない。この後の神戸・福岡公演は当然この構成のまま進行していくため受け入れるしかないが、正直、このような見せ方がアイマスライブのスタンダードになってしまうならかなり辛い。自分はパフォーマンス力の高さに惹かれてのアイマスライブにめり込んだ人間なので、7thではライブ自体の楽しさを追求したライブを観られることを切に願う。

Stadiaと「クラウドゲーミング」という時代について

 techcrunch.com

 就活の時に「クラウドについてどう思いますか?」という質問に、「このままいけばPCのCPUとかメモリとかも全部クラウド化されて、ユーザの手元には画面を映すためだけの薄い板1枚だけが残るんじゃないですかね」と適当に答えたら「いやそんな事したら通信量エグいでしょ」と一笑に付された思い出があるんだけど、Googleはそこらへんの壁を難なくぶっ壊していくんだなぁと思った。

 「Googleが新しいゲーム機を発表する」という噂は少し前からあって、今更Googleコンシューマゲーム業界に参入する意味って...? と思ってたんだけど、実際に発表されたのがゲーム機ではなく「クラウドゲームサービス」だったので納得が行った。Googleは、自前の資産を使って既存のコンシューマゲーム業界を悉く破壊し尽くすつもりなのだ。

 既存コンシューマゲーム機の問題は、とにかくハードが高い事。PS4XBOX Oneは3万円以上もする。いや、これらが積んでいるCPUやGPUの値段を考えてもこれでも破格なのだが。また、本格的なPCゲームを遊ぼうとすると、ゲーミングPCを買ったりメモリやCPUを拡張しなければならないため、もっとお金がかかる。そして時代が進むとより良いグラフィックや処理速度が求められ、新たなハードが出現し、新しいゲームを遊ぼうとするとハードを買い直す必要がある。特にお金のない人にとって、コンシューマゲームを遊ぶ上でこの辺りがハードルになっていた。

 Stadiaは「ゲーム機の役割を全てGoogleのサーバが担う」事にして、この問題を力ずくで解決したのだ。高価なCPUやGPU、大量のメモリは、もうプレイヤーの手元に必要ない。何故ならそれらはGoogleがアホほど持っているからである。コントローラからのインプットをGoogleのサーバに送り、処理したものを映像としてプレイヤーのもとに送る事にすれば、プレイヤーに必要なのはコントローラとネットワーク、そして映像を映す画面だけである。この画面にはGoogle Chromeが用いられるらしいので、WindowsMacLinuxはおろか、TVやスマホもStadiaにアクセスしてゲームを楽しめる。そしてユーザはインプットしかしないので、チートの心配もない。う〜ん、すごい。

 いや、近年様々なサービスがWebアプリケーション化されて、ブラウザを通してどのデバイスからでも同じサービスを受けられるようになっているのだけど、それでもそれをゲームに対して完全に応用しようと考えるのはやっぱり凄い。しかしこの考えは、死ぬほど計算資源を持っているGoogleだからこそ思いつくことが出来てかつ実現可能なんだと思う。21世紀では、革命は銃口からではなくCPUやメモリから生まれるのだ。

 そんな革命家が突然乗り込んできたので、ソニーMicrosoftはかなりヤバいんじゃないだろうか。反対に独自のデバイスで独自路線を走っている任天堂はまだ安心か? 日本ではすでにファミリー層からの信頼を勝ち得ている感があるので、Stadiaとかいう得体の知れないプラットフォームに取って代わられることはすぐには無さそうだ。しかしそれも時間の問題なのかも知れない。

 料金体系やネットワークの帯域の心配、そして遅延の不安もあるんだけど、これをきっかけにゲーム業界が盛り上がってくれればなぁと思う。しかし懸念点としては、どうしても1企業のクラウドプラットフォームという関係上、遊びたいゲームがいつまでも遊べるとは限らくなってしまうという点だ。これはソシャゲと同様の問題なんだけど、Stadiaの場合かなり魅力的なプラットフォームすぎて、そこにゲームタイトルが集中的に投下された場合、もし仮にStadia自体がサービスを終了した場合、それらのタイトルは永久に遊べなくなってしまう可能性がある。そんなドラスティックな例じゃなくても、例えばゲーム内に出演している俳優がコカインで逮捕されてしまった場合、そのゲームが即座に配信停止となり、突然二度と遊べなくなってしまうかも知れない。

 ナイーブなオタクの戯言なんだが、やっぱりゲームは社会的には文化資産であり、個人的には思い出でもある。ストリーミングという儚い土台の上に立つゲームは、いとも簡単に消失してしまうだろう。そうならないためにも、Stadiaには出来るだけゲームを継続的に遊べるようなプラットフォームになって欲しいんだけど... 難しいかなぁ。

精神年齢5歳でゲームをさせてくれ

 13時が早朝だと胸を張って言えた学生生活から卒業し、毎日死んだ目をしながら電車に揺られて朝の9時に出勤する社会人へと変身して数年が経った。

 社会人になって会社に入って右も左も分からず目の前の仕事こなすだけでヒーヒー言ってたあの頃、先輩社員によく言われていたのが「仕事をする時は、自分の立場より上の人の立場に立って仕事することが重要なんやで」という事。要は「プロジェクト全体の中で自分の仕事がどこにマッピングされているのか、常に頭に入れておく事」という事で、ある程度経験を積んできた今ならまぁ同意するんだけど、当時は表面上分かったフリをしながら「なんでお前がやるべき仕事を俺が忖度しながらやらなあかんねん」と心の中で中指を立てて面従腹背の構えを崩さなかった。

 そんな人間なので、課長が「まろみくん、技術ばかりじゃなくてプロジェクトのお金の流れのことも知っておかないと上に上がれないよ?」とか、社長が「社員全員が経営者目線を持って仕事をすることが大事」とか言っても全く聞く耳を持たなかった。僕は人やお金のマネジメントをしたくて会社に入ったわけじゃない。そうでなければ僕は自分で会社を立ち上げている。そんなものはあなた達管理職の仕事でしょ。僕はそんなものやりたくも無いし、考えたくも無い。頼むからこっちに押し付けないでくれ。

 まぁ、こんな感じで上の人の立場に立って考える事を徹底的に拒否していると僕のようにITピラミッドの底辺を這いずり回るウジ虫のような存在になるので、「コイツ世渡り超下手だな〜」と指差して笑うに留めて絶対に真似しないでほしいのだけど。一方で、自分よりも上の組織の考えを掴むとか、またはカウンターパート(客とか取引先)の思惑を酌むとか、そういう「自分が直接所属していない組織について忖度するスキルを身につけよ」という社会的な圧は、歳を取るに連れかなり増していってる感がある。幼稚園や小学校でも、道徳の時間とかで「相手の人の気持ちになって考えよう」という訓練を積まされる訳なんだけど、社会人になってレベルアップすると、この「人」が「法人」になったりする訳だ。そうしないと、相手組織と良好な関係が築けない。つまり組織を忖度するスキルは、社会人として仕事をしていく中で必須のスキルになる。こう考えると、上記の自分の行動は「ヤダヤダ! みんなの事なんて知らない! ボクはボクのやりたい仕事だけやるもん!」と駄々をこねる自己中心的なクソ野郎でありかなりヤバい。でも、僕の精神年齢は5歳程度だから仕方ない。みんな忖度してほしい。

 という訳で、仕事において忖度って重要だよねという話になるのだけど、忖度って疲れるし、辛いし、心が死ぬし、面白く無いし、出来ればやりたくない。自分のプライベートではこんなクソみたいなものからは出来るだけ距離を置いておきたい。だけど、最近は仕事以外でも忖度圧が増してきた感がある。ゲームがその一つだ。ここから本題。

 「ゲーム=ソシャゲ」になって久しい。開発費に数億〜数十億円かけたコンシューマーゲームが8000円で発売されたら「高い」と石を投げられてしまう一方で、数枚のイラストに人気声優のCVを付けたゲーム内カードに人は簡単に数万円注ぎ込んでしまうしまうと人類が知ってしまった以上、ゲーム業界の開発リソースがソシャゲに傾くのは物理法則上仕方がない(ところで「ソシャゲ」と言っても、今やソーシャル要素が無いゲームがほとんどなんですが、もっと良い呼び名無いんですかね)。

 僕も最近はソシャゲばかりやっている。最近はミリシタかデレステしかプレイしていないが、前はグリモアやゴ魔乙、FEHとかもやっていた。ソシャゲとは生きるために常に動き続ける事を宿命付けられた、言わばカツオのような存在で、これらのタイトルも御多分に洩れず、まるで当然の生命活動の一環のように新キャラクター・新イベント・新カード・新機能を次々に実装している。こちらも基本的にそれらの新要素を当然のように日々咀嚼している訳だが、中には「これはちょっと...」と思うものも存在する。例えば「射幸心を煽りたい」という欲望が剥き出しになったガチャが始まったり、これまで頑張って集めて育成してきたカードが無になるような強力新カードが実装されたり、イベントが鬼のように難しかったり、推しキャラがいくら待っても実装されなかったり、公開されたストーリーがクソつまらなかったり...

 ちょっと文句が言いたくてTwitterを開く。僕と同じような文句を呟いている人がいたりして少し安心するのだが、時々、以下のような内容のツイートがRTを経て回ってきたりする。

 「ソシャゲも慈善事業じゃないんだから出番に格差が出るのは仕方がない」

 「2月の売り上げは会社事情的に重要だからそりゃここで射幸心煽るでしょ」

 「最近セルラン下がってたからテコ入れしたんだろうなぁ みんなも課金しろよな」

 「Twitterでぶつくさ文句言っても何も変わらないよ?w みんなゲームを楽しもうぜ!」

 は?

 いや、まぁ、分かるよ。ソシャゲの売り上げって重要だよね。コンシューマーゲームと違ってソシャゲは、売り上げが減ってサービス終了したら二度とプレイできなくなるからね。ここ数年、多くのソシャゲがサービス終了し、サーバー上から消去されたそれらのゲームのほとんどは検索エンジンのどこにもインデックスされず、記録からも記憶からも抹消されている。その悲惨な末路を僕たちはよく知っている。だから、君の言うことも分かるよ。君はこのゲームに長く続いてほしいんだね。だから、このゲームの売り上げのこともずっと考えてる。運営のことも君は人一倍考えている。君は正しい。 大人だね。そうだね。文句なんて言ってないで、いつも頑張ってくれてる運営の人たちに感謝しないとね。

 知らね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!

 いやマジで知らねえわ。なんで? なんで、ただの1ユーザーの俺がそんな、運営のことをわざわざ忖度してあげないといけないの? 俺は楽しむためにゲームやってるの! 実際楽しんでるし、概ね満足してるからここまでゲーム続けてるの。だけど文句の一つや二つぐらい言いたくなる時もあるの! それをなんだ、運営の立場に立ったら仕方の無いこと? 文句を言うのは非生産的だと? はぁ???? そもそもゲーム自体が非生産的じゃろがい!!! 文句ぐらい好き勝手言わせーや!!!!!!!!!!

 思いの丈をぶちまけた後なのでとりあえずフォローしておくと、上記の「運営の立場に立った発言全般」は完全な正論だと思っているし、反論する気もない。ソシャゲは売り上げが立たなければ死んでしまう運命にある。大好きなゲームが死んでしまうのは僕も悲しい。そんなゲーム達が、時には一部のプレイヤーに対してストレスを与えるようなアップデートやイベントを行う時もある、ということは分かっている。ゲーム運営の状況や思惑なんかも何となく透けて見えてしまう時もある。だから、「これはちょっと...」と思うようなアップデートが入っても、「運営の立場に立つとこれは仕方ないよな...」と心の隅っこではぶっちゃけ思っている。何故なら社会人だから。そう言うことを忖度できるスキルは嫌でも身についているからだ。

 しかし同時に文句もめっちゃ言いたくなる。何故なら社会人だから。そういうことを忖度するのは仕事で散々求められているのに、ゲームでもそんな余計なストレス、抱えたくないからだ。そもそも、ゲーム運営は僕の上司でも取引先でも何でもない。僕はどこまで行っても1ユーザー。事情を分かった顔で言われたって、運営の事情を酌み取る必要はどこにもありはしないのだ。

 そして「仕方ないと思うこと」と「文句を言うこと」は両立すると思っている。僕が電車に揺られながら毎日朝9時に出勤するのは就業規則にそう書いてあるからで、これを僕は「仕方のないこと」だと思っているが、文句はバリバリに言っている。みんなもそうだと思う。いくら文句を言うことが非生産的だと言われようが、それは人類皆に与えられた権利だ。憲法にもそう書いてある。

 ゴタゴタ並べたけれども、結局言いたい事をまとめると「ただの1ユーザーの僕が運営の事を考える必要なんて1ミリもないこと」「文句を言う権利は誰にだってあること」の2つ。運営の事情を斟酌出来る人は偉いと思うんだけど、僕はそれに付き合うつもりは一切ない。肉体年齢なりの仕草は仕事でちゃんとやっているから、お願いだからゲームでは精神年齢(5歳)なりに駄々をこねさせて欲しい。