読書感想文『月は無慈悲な夜の女王』
人類の歴史において、抑圧する側・される側という構図は常に存在する。抑圧され支配される側は不満を抱えながらも、領主に土地や階級を与えられ、政府に安全を保障されるというギブアンドテイクの関係が成り立っていて、ガス抜きされている。そのバランスがおかしくなると不満がパンクし、暴動が起き、反乱が起き、革命が起こる。これまでの歴史ではそのような事が幾度となく起こってきた。未来においてもそのはずだ。
我々は月に住む人間だ。月で収穫された食物は飢饉にあえぐ地球のために相当数を輸出しなければならず、代わりに与えられるのはわずかな貨幣。月に置かれた行政府の連中は横暴で、少しでも反抗するそぶりを見せたら徹底的に弾圧してくる。そんな状況に腹を据えかねていた頃、このまま行くと月は数年以内に資源が枯渇し、食糧危機・人肉の共食いが避けられないとの試算が出た。我々は資源を月に輸出してばかりで、地球からは何も返ってこないからだ。
我々が生き残る術は、あの憎い行政府を打ち倒して、この月世界の独立を勝ち取るしかない。さて、我々には何がある? この月世界で相当な切れ者として有名な無政府主義者の教授、見目麗しくエネルギッシュな革命運動家の女性、そして何より、会話もできて自己学習もできて未来予測もできて自己プログラミングもできる優秀な計算機・マイクもいる。布陣としては十二分過ぎる。しかし...... 月は犯罪者たちの流刑地で、彼らの中には愛国心や独立心など全く無かったのだ。
「月は無慈悲な夜の女王」は1966年に発行されたSF小説。半世紀以上経ってもSFのオールタイムベストとして名高い作品です。内容は知らなくてもどこかでタイトルは耳にした事があるのではないでしょうか。関係ないですが「君は淫らな僕の女王」ドシコいですよね。
あらすじは上記の通り、月・地球間の独立戦争を題材とした物語なのですが、月世界は国でもなんでも無いため、個々人に不満は渦巻いていても、団結して地球に一発喰らわせていこうみたいなマインドは最初っから無いんですよね。いくら優秀なブレーンとチート級のスペックを持つ計算機がいたところで、月世界がバラバラでは圧倒的武力を持つ地球軍には敵いません。
というわけで、この物語は「月世界での独立の機運」「地球での月世界の独立を認める世論」の二つを醸成するための地道な政治的作業が大半を占めます。星間戦争でドンパチのような展開を期待していたらちょっと面喰らうかも。僕もそうでした。
ただ、そのための方法論・組織論がかなり理にかなっているんです。革命を起こすためには相当数の人間を味方につけなければなりませんが、人数が増えるだけ行政府側のスパイが入り込む余地も増えていきます。ではどうやって、スパイが入り込んでも大丈夫な組織を作ればいいのか。それがこの本の中で語られているのですが、なるほどという感じです。その他にも、主人公たちはあの手この手で月世界の世論を変えよう(団結して行政府に反抗させよう)とするのですが、それもかなり丁寧な描写なのでリアリティがあります。まるでこの方法を実践すれば簡単に政府を転覆させる事ができると錯覚するみたいに。気分は外山恒一。
難を言うとすれば、物語の大筋はほぼ主人公側の意のままに進むのであまりハラハラドキドキする展開が無いということでしょうか。物語というよりは、初期条件とゴールを定めた思考実験といった感触を覚えました。いや、でも流刑地としての月世界を背景とした、月の住人達の暮らしぶりはなかなか興味深かったですし、計算機のマイクはユーモアを解し時には笑えない冗談まで起こしてしまうお茶目な奴ですし、その他の登場人物もちゃんと個性が立っていて、そうした端々のディティールが細かく魅力的に描写されていることによって、この物語全体も説得力があるものに仕上がっているんだと思います。
あと、まぁこれ仕方ないんですけど、訳文がかなり直訳気味でかなり読みづらかったです。去年の11月の終わり際に少し読んで「ウッ」となってしまったので、このお正月に集中して読むことにしました。まぁ元の文章がかなり訳しづらいものだったらしいですが、それにしても40年前の初訳から一切改訂されていないらしいですよ。傑作SFとして今でも名前が残っているんですから、新訳版出してくれませんか、ねぇ...