タイトルは黒木プロリスペクトです。
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— 天開司🎲バーチャル債務者Youtuber (@tenkaitukasa) 2024年2月7日
神域リーグ主催・天開司さんが、度重なる打牌批判を理由に選手としての参加を辞退した。このこともあり、打牌批判について議論することが空前のブームとなっている。
乗るしかない、このビッグウェーブに。というわけで、打牌批判について、意外と誰も言及してないなというところまでつらつらと書いていこうと思う。目次は以下の通り。
- なぜ打牌批判問題は厄介なのか?
- 人はなぜ打牌批判をするのか?
- 打牌批判問題はどうしたら解決できるのか?
- 白雪レイドさんのポストについて
- 神域リーグをつぶすのは誰なのか?
なお、ここで対象とするのは、麻雀プロではないアマチュアの配信者に対するYouTubeチャットやコメント欄、あるいは別の手段による「打牌批判」である。麻雀プロに対する打牌批判は堀慎吾プロの下記ツイートに激しく同意である。
麻雀を楽しんでるアマチュアの方に対する辛辣な打牌批判はやめようって促すのは素晴らしい
— 堀 慎吾🌸 (@elis0323) 2024年2月7日
でも麻雀プロにも批判するなよってそれは違うかな。どんな世界でもひどいプレーにはヤジが飛ぶし、ヤジだって熱狂あってこそ。プロなら批判されても気にならないくらい選択に誇りをもてよ
あ、酔ってないですよ
また、下記の記述には主観的な内容がふんだんに盛り込まれていることにも注意されたい。一方、現在の自分は神域リーグに深くハマっているわけではないので、出来るだけ第三者視点から俯瞰して書いたつもりでもある。
なぜ打牌批判問題は厄介なのか?
「打牌批判」は「プレイ内容についての批判」と言い換えてもいいだろう。麻雀におけるプレー内容の批判は特に打牌批判と呼ばれる。
と考えると、配信者に対する「プレイ内容についての批判」問題は、別に麻雀に限ったことではない。有名なAPEXでも、配信者に対する上から目線の指摘コメントは「コメデター」として忌避されている。VALORANTやその他のゲームでも、こういったコメントの存在は問題視されている。
上から目線で説教する、ぶっきらぼうな口調の指摘で配信の雰囲気が悪くなる、といった問題は麻雀配信とFPS配信で共通だろう。しかし、麻雀における打牌批判の問題は、それらよりも深刻なものに思える。それは、「プレイ人口の多さ」と「麻雀に触れてきた環境の多様さ」によるものと考えられる。
プレイ人口の多さ
まずプレイ人口の多さは言うまでもないだろう。一度でも触れたことがあるプレイヤーの数なら、麻雀はAPEXやVALORANTを大きく上回っているはずである。特に成人男性であれば、大学などでかなりの割合の人が麻雀に触れてきているのではないだろうか。
となると、同じAPEXなどのゲームの配信と比べて、麻雀では配信上で行われているプレイ内容についてそれなりに意見を持つ人の割合が大きいと言えるだろう。自分が遊んだことのないゲームのプレイ内容について上手下手を判断することが出来ないが、それなりに遊んだことがあるゲームならば、「このプレイは間違っているのでは?」と考えることが出来る(その考えの内容が合っているか間違っているかは別にして)。
意見を持つ人の割合が多いとすれば、それを不適切な形で表現する人の割合が全てのゲームで共通だと仮定するなら、麻雀配信における打牌批判コメントは多くなってしまう。配信視聴者数に占めるプレイ人口の割合が大きいことによって、打牌批判コメントが多くなってしまうというのが、打牌批判問題が厄介な理由の1つ目である。
麻雀に触れてきた環境の多様さ
2つ目は麻雀に触れてきた環境の多様さについて。麻雀は歴史の長いゲームである。歴史が長いとどうなるかと言うと、それぞれの時代でセオリーとされてきた戦術が違うのだ。
- 三色や一通など打点重視の手組み、あるいはオカルト的な手法が重視されてきた90年代まで
- その反動として、低打点でもいいから早く上がることが是とされた00年代
- 打点重視の手組が再評価され、速度の打点のバランスが重要とされている10年代以降
ざっくりとこんな感じだろうか。そして、麻雀配信に来る視聴者は、それぞれいろんな時代、いろんな環境で麻雀に触れてきた人たちである。すると何が起こるかと言うと、どのように打っても誰かしらが違和感を持ってしまうのである。
速度を重視して端牌を切ると「三色あったのに...」と言われ、三色を目指すために端牌を抱えていると別の人に「それ持ってると受け入れ減っちゃうよ」と言われ、リーチが来たからベタオリしてるとまた別の人から「オリてばかりだと流れ悪くなるよ」と言われ……
視聴者が麻雀に触れた時期も、勉強した深さもバラバラなので、それぞれの視聴者がセオリーとしている戦術もみんなバラバラなのである。これはAPEXなどの(比較的)歴史の浅いゲームとは決定的に違うところだ。
究極的に、現代的なセオリーに完璧に即した打牌をしても、その半荘でラスだった場合、90年代の麻雀の世界観を持った視聴者に「敗着」をあげつらわれる可能性がある。超打点寄りな打牌をしてもまた然り。歴史が長く、セオリーが人によってバラバラだから、どの打牌も視聴者の誰かの違和感になり、あらゆる打牌が誰かの批判対象になりえる。これが厄介な理由の2つ目である。
他にも、「結果論から粗探しをされやすい」「大会の場合、視聴者からは他の人の手牌も見えるから指摘を受けやすい」というのも理由には入ってくるだろうが、やはりこれら2つの問題が大きいのではないだろうか。
以上より、「視聴者の中に占める麻雀プレイ経験のある人の割合の多さ」「視聴者のセオリーとしている戦術がバラバラなことで、あらゆる打牌が批判対象となりえること」により、他のゲームに比べてプレイ内容への批判が多くなってしまう。これが打牌批判問題の厄介なところである。
人はなぜ打牌批判をするのか?
そもそも、人は何故打牌批判をしてしまうのだろうか?
- 自分が正しいと思っている打ち方を、配信者にアドバイスしたい
- 自分が正しいと思っている打ち方を、打牌批判を通して他の人達に共有したい
- プレイ内容から感じたストレスを、批判を通して消化したい
- 単にその配信者を攻撃したい
列挙してみるとこんな感じになるだろうか。4番目の理由は当然論外、3番目の理由は麻雀プロ相手には許容されるかもだが、アマチュアの配信者を相手にすることではないだろう。
ただ、これらのような悪意を自覚しながら打牌批判をしている人の割合はそこまで大きくないのではないか。厄介なのは1,2番目の、本人にとっては利他的だと思っている有害な行動である。
これは早く浸透して欲しい概念なのだが、他の人にアドバイスをするというのは自慰行為である。アドバイスという行為を通して、自分の主義主張に相手を従わせ、相手よりも精神的優位に立っているという優越感を感じて快感を得ることが出来る、いわゆるマウンティングの一種である。少々言い過ぎな気もするが、少なくとも受け手が求めていないアドバイスは、ほぼ全て自分が気持ちよくなりたいだけの行動、というのは正しいだろう。本来はキャバクラなどで金銭を払って行われるものだが、今日ではYouTube上でコメント欄を通じ、多くの配信者に対して行われている。
ただ、やっていることがアドバイスという、一見人を助ける行為に見える以上、「これは自分が気持ちよくなりたいだけの良くない行動なのでは」と自覚することは難しいだろう。そうして視聴者が良かれと思ってアドバイスした内容が、批判されたと感じた配信者のメンタルをゴリゴリ削ってしまう。この非対称的な構図が、打牌批判問題の解決を難しくする大きな要因なのではないだろうか。「打牌批判はやめましょう!」と呼びかけられても、自分がしていることが打牌批判だと自覚できなければ、その行動を止めることは出来ないのだ。
念のため指摘しておきたいのが、打牌批判問題においては、「配信者がどう思ったか」のみが重要だということだ。視聴者の自覚している行動が「アドバイス」であれ「批判」であれ「議論」であれ「何かしらの啓蒙」であれ、受け手が打牌批判と感じればそれは打牌批判だ。何故ならば、どれほど崇高な目的があったとしても、麻雀を楽しく遊ぼうとしている人の心を傷つけてもいい理由にはなり得ないからだ。
そのことを踏まえ、すべての視聴者が「いまからアドバイスしている内容、もしかしたら打牌批判になっちゃうかもしれないな...」と自身を省みれることが、打牌批判問題の解決の目指すべきところだろう。
打牌批判問題はどうしたら解決できるのか?
というわけで、打牌批判問題は「他のゲームに比べて多く発生する」「そのかなりの割合は良かれと思ってされている」という2つの要素が合わさった、かなり厄介な問題である。
果たしてどのようにしたら打牌批判を無くすことが出来るだろうか。少なくとも、「打牌批判をやめてください!」と声高に言っても解決できそうにはない。何故なら、打牌批判者の多くは、自分のは批判ではなくアドバイスだと思っているからだ(あるいは、「自分のはセオリー的に正しい内容だから正しい批判である」などだろうか)。
ではどうすれば良いのか。根本的に解決するためには、視聴者のマナーとして「配信者に求められない限り、アドバイスはしない」という文化、あるいはマナーを作っていくしかない。「相手の気持ちを考えよう」とか、「批判をするなら建設的にしよう」とか、そのようなメッセージは批判を批判と思っていない視聴者には届かない。「求められてないアドバイスや指摘はウザいしキモいしダサい」という風潮を、視聴者と配信者と共に作っていくしかないのではないか。
何故配信者も一緒にやらなければならないのかといえば、それは視聴者の行動に影響を与えることの出来る唯一の存在は配信者だからだ。任意の視聴者側だけの動きでは自治厨と変わらなくなってしまうが、配信者の呼びかけや行動には、視聴者全体の行動を変える大きな力がある。
実際には、これには時間がかかるだろう。発言力が高い人が声掛けして右に倣え、にはなりそうもないし、実際にもなっていない。この界隈にいる人たちが協力して粘り強く呼びかけ、文化やマナーとして徐々に定着させていくしかないだろう。また、「正しいことを言っているんだから何が悪いんだ」と、自分の考えを曲げない頑固な人もいるだろう。そのような抵抗勢力が十分に小さな割合になるまで、文化を浸透させていくことが必要になってくる。
麻雀における打牌批判問題はそもそも厄介であり、自分が打牌批判をしていると自覚していない打牌批判者も多く存在する以上、解決することも難しい。配信者への打牌批判問題を本気で解決したいのであれば、視聴者のみならず配信者も一緒に、そのような文化を作っていくのが最速の道だろう。
白雪レイドさんのポストについて
打牌批判について。
— 白雪レイドのスペア (@Sub_Reid) 2024年2月9日
俺が普段やってるのって、打牌批判じゃなくて本質的にはただの負け惜しみなんだよね。
対戦相手の打牌に対して色々考察したり自分の考えを言うのと、関係ない外野から打牌について発言するのは全然意味が違くて。
その二つをごちゃ混ぜにして考えてる人、ちゃんと考えて欲しい。
俺は少なくとも自分と全く関係ない人の打牌にケチ付けたことは一度もないし
— 白雪レイドのスペア (@Sub_Reid) 2024年2月9日
こういう話、今までも配信で何度もしてるから視聴者の皆は耳タコだろうけど、
なんでもかんでも打牌批判!打牌批判!って騒いでる輩は、落ち着いて『何が神域リーグを進行する上で邪魔になってるのか』
を考えてくれ。
というわけで、この記事は実は上記のツイートを読んでから書き始めたものだ。というのも、このツイートには打牌批判問題の本質が全て詰まっているように思えるからだ。
白雪レイドさんは前年までの神域リーグに参加しているVTuberである。雀魂で雀聖3に到達するなどその麻雀スキルの高さでも知られているが、一方で麻雀配信においては、同卓している一般プレイヤーのプレイ内容に対し、罵倒に近い表現で言及するなど、一部の視聴者からは問題視されていた。
そして冒頭の神域リーグ主催・天開司さんの不参加表明が行われた後、打牌批判問題について関心が集まる中、白雪レイドさんの言動についても議論されるようになったが、その中で行われたのが上記のポストである。
このポストには、神域リーグにおける打牌批判問題のすべてがあると言ってもいい。まず、「俺が普段やってるのって、打牌批判じゃなくて本質的にはただの負け惜しみなんだよね。」という文章だが、これは全ての打牌批判者が行っている自己正当化である。
- 打牌批判ではなくてアドバイス
- 打牌批判ではなくて疑問に思ったことを言っただけ
- 打牌批判ではなくて他の人を啓蒙してるだけ
- 打牌批判だけど正しい内容だから
「打牌批判ではなくて負け惜しみ」というのは、上記の打牌批判正当化のショーケースに一緒に陳列されて然るべきものだろう。ここまで見てきたように、打牌批判問題は「発信側が何を考えて言ったものか」は全く問題ではなく、「受信側がどう思うか」が重要なのである。発信側に正当な理由があればOKなのであれば、打牌批判問題はそもそも存在しない。
一方、白雪レイドさんも、日々視聴者から心無い打牌批判を受けている人物の一人である。その人物でさえ、多くの打牌批判者と変わらない正当化をしてしまうというのは、自分が打牌批判をしているという自覚をすることの困難さを物語り、この問題が容易には解決できないということを端的に表しているだろう。
もう一つ、「落ち着いて『何が神域リーグを進行する上で邪魔になってるのか』を考えてくれ。」という文章。これは「別に自分の打牌批判は神域リーグの妨げにはなっていない」ということをを言外に表しているだろう。果たして本当にそうなのだろうか?
何度も言うようだが、打牌批判問題の解決は難しい。解決するためには、視聴者と配信者が一緒になって、「打牌批判は良くない」「求められていないアドバイスはしない」という文化を作っていく必要がある。
しかし、「打牌批判の撲滅」の理念を掲げている神域リーグに関わっている配信者が、自分の配信で多くの人に打牌批判と捉えられる言動を繰り返ししている状況で、そのような文化は果たして定着するだろうか?
出来ないだろう。組織に関わっている人間が理念に反する行動を行っていれば、当然その組織が掲げている理念の説得力がなくなり、有名無実になる。その理念を守ろうとする視聴者の中にも、白雪レイドさんの配信を見て「あ、このレベルの批判はOKなんだな」と認識して、他の人の配信を盛り上げようと思ってライン超えの打牌批判を行う、という状況は既に存在するだろう。
既に議論してきた通り、「打牌批判を無くす」という夢は、解決を視聴者だけに押し付けることでは叶えられそうにない夢である。少なくとも、神域リーグでの打牌批判を無くそうと思うのであれば、そこに関わっている人々がまず範を示さなければ、マナーとして定着させることは不可能だろう。視聴者に最も大きな影響を与えるのは配信者なのだから、その配信者の行動が変わらなければ何も変わらないのである。
誰が神域リーグをつぶすのか
この記事では別に白雪レイドさんの個人攻撃をしたいわけではない。そもそも、自配信で他プレイヤーの批判を行っている配信者は、過去所属していた人も含めて複数人存在する。白雪レイドさん本人だけの問題ではない。
第一、「打牌批判を無くす」という理念を掲げているリーグが、打牌批判を繰り返す配信者を複数所属させている、という歪な構造になっているのは何故だろうか? その配信者たちの行動を何故誰も咎めないのだろうか? 咎めるとして、誰が咎めるべきなのだろうか? そもそも、「打牌批判を無くす」ということに一番コミットすべき人物は誰なのだろうか?
麻雀プロである。
麻雀プロはリーグ戦で自分の実力を示すだけでなく、麻雀というゲームを世に広めることも重要なミッションであろう。そのミッションのためには打牌批判問題を解決していく、というのも大きな目標となる。「麻雀配信すると打牌批判されてメンタル削られる」という状況がなくなれば、より麻雀配信が活発となり、麻雀をもっと世に広めることが出来る。
この神域リーグも、プロ側の思惑としては「VTuberの視聴者層を麻雀界に取り込んで、麻雀をもっと広めたい」というものがあるだろう。だとすれば、この打牌批判問題を自分事として捉え、一番強い目的意識を持ち、解決に最もコミットすべきなのは、VTuberではなく、監督を務めるプロ側にあるだろう。VTuber側としては別に、麻雀がダルくなれば他のゲームに行けば良いだけ。麻雀を生業としているのは麻雀プロ。そして、神域リーグを一番守りたいと思っているのも麻雀プロのはずだ。
これを踏まえると、打牌批判を繰り返す人物を複数神域リーグでドラフトする、そして彼らの言動を野放しにしている、という麻雀プロは、果たして「打牌批判を無くす」ということに、本気でコミット出来ているのだろうか?
「そのような毒にも薬にもならない配信者ばかりだと盛り上がりに欠ける」という意見もあるだろうが、そもそも麻雀プロの方からそのような配信者に「お願いだから配信でそんな言葉遣いしないでね」とお願いすればいいだけの話だ。そのようなやりとりのコストもかけず、「打牌批判は良くないよね」と他人事のように言って野放しにしている状況が、今回の事態を招いた一つの原因ではないだろうか。
もっとも、打牌批判問題の全力解決だけが、神域リーグに参加する麻雀プロの責務ではない。ただ、主催者が選手としての参加を辞退するという異常な事態が発生してしまった以上、神域リーグを守るためには、この問題の解決に対して今以上の努力をしなければ、神域リーグが潰される事態になりかねないだろう。
おわりに
この記事全体が余計なアドバイスもとい打牌批判だというご意見についてはまさにその通りです。