打ち首こくまろ

限界オタクの最終処分場

ウマ娘をきっかけに、二次創作のあり方を考えてみる

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 ウマ娘の人気は止まるところを知らない。それはセイウンスカイニシノフラワーの馬主、西山茂行氏の耳にも入るところになり、当初氏はそれを好意的に受け止めていた。

 そこに、セイウンスカイのエロイラストを書いてもいいですか?」と直接質問した人が現れ、そこに氏がOKのリプライを出すと、それを曲解した内容の引用RTを行ったアカウントが出現。氏の気分を害することとなり、上記のツイートの通り二次エロ創作は無事正式にNGとなった。

 上記はウマ娘アンチの捨て垢による犯行とも言われているらしいのだが、証拠は無い。ウマ娘が本当に好きなんだけど、頭も本当におかしい人間の可能性もある。いずれにせよ、ウマ娘がここまで多くのファンを抱えるコンテンツとなった以上、その中にはファンを装った狡猾なアンチもいれば、コンテンツの足を引っ張ることしか出来ない救いようの無い馬鹿もいる。そうでなくても、価値観の異なる大勢の人間がいる。コンフリクトの発生は避けられないし、遅かれ早かれこのような問題は起こったと思う。

 そして今回の場合、西山氏が大らかでファンキーな方のため、軟着陸させることの出来た幸運なケースだと思う。最悪の場合、ウマ娘からの馬名引き上げ、またはセイウンスカイニシノフラワーの二次創作が全面的に禁止となった可能性もあった。

 このような問題は今後も起こり続ける。色んな人が二次創作のコミュニティにいる関係上、これは避けようもない。このように、権利者を怒らせたり、二次創作が危機に瀕した時、私たちはどうすれば良いだろうか。

 先に自分の立場を話しておくと、自分はウマ娘以外の弱小コンテンツの界隈で1年に一度思い出したかのようにSSを書くだけ、あとはTwitterでイラストをバンバンRTするだけのバリバリの二次創作消費者である。バリバリの創作者側の目線になるとまた違った見方になるのだろうが、今回は自分から見たこの問題について話したい。そして自分の話すことが唯一絶対の正解だとも思っていない。

 そして自分のこの問題に対する結論はかなり過激なものになっていて、それは一線を超えた創作者は死ぬほどボコボコに叩いて打ち首獄門に処すくらいしかない、という野蛮極まりないものになる。それはコンテンツの権利者に対して、この二次創作の界隈は自浄作用がちゃんとありますよ、と言うことを明確に示さなければならないからだ。ここでは自分はなぜそのような結論を持つに至っているのかを説明していく。15000文字以上とクソ長い文章になってしまったのだが、時間があれば我慢して読んでいって欲しい。

 二次創作をしていない人間による二次創作論という存在価値が良く分からないものになっているのだが、これを読んでいただいている皆さんの思考材料となってもらえれば幸いである。

二次創作は立派な犯罪

 まず、ウマ娘に限らない、二次創作全体のあり方について、自分の考えを述べていきたい。

 よく「二次創作はグレーゾーンだから云々」と言う言説を目にする。「グレーゾーン」と言うと法律の解釈次第では違法とも合法ともなり得る、と言う印象を受けるのだが、この表現は誤りだと考えている。二次創作はグレーゾーンでも何でもなく、法律にしっかりと記載された完全なる犯罪だと言うことを確認しておきたい。

 著作権法では、原作を著作者の許可なく改変することを禁じており、それに違反するのは著作者の「翻案権」「同一性保持権」を侵害する犯罪である。であれば、二次創作は「原作を著作者の許可なく改変」した表現全般を指す言葉であり、二次創作はその定義からして立派な犯罪なのである。すなわち、二次創作者は全て犯罪者であり、二次創作を楽しむ私たちもまた、犯罪に手を染めた成果物を摂取して日々の生活を潤わしている無法者なのである。

 それでは何故私たちは告訴されないのか? それは権利者が、二次創作の存在が自分たちのビジネスに影響を与えない、もしくはプラスになる、と思っているからである。ビジネスにマイナスになっていることが明らかなのであれば、告発して刑務所にぶち込んで筆を折らせ、損害賠償を請求することだって出来る。営利企業がそれをしないのは、二次創作が存在するメリットがデメリットを上回っているから。その条件がある限り権利者は二次創作者を告訴せず黙認する。

 言い換えれば、権利者は二次創作界隈のことを「我々のビジネスと競合しないように上手く楽しんでくれるだろう」と信頼しているので二次創作を黙認している、と言うことになる。二次創作が存在できる理由はこの信頼関係があるからであり、逆に言えばこの信頼が毀損されてしまうと、二次創作の存在は一気に許されなくなってしまう。そしてその信頼関係の根本は、二次創作が存在することによるメリットとデメリットのバランスであり、極めて微妙なバランスの上に成り立っているものだと言える。この構造をまずは確認しておく必要がある。

線引きされたら終わり

 さて、そのメリットがデメリットを上回る境界線はどこにあるのか、人間ならば誰しも知りたいものである。その境界線を知る事ができれば、安心して二次創作に励む事ができる。

 最も安易な考えなのが、権利者に対して「この表現はOKですよね?」と境界線を直に聞きにいく事である。随所で言われている通り、これは絶対にやってはいけない行為である。OK/NGの線引きを権利者に対して求める事は、二次創作の表現の幅を大幅に狭めることになりかねないからだ。

 例えば、「自分とこのキャラクターで性的な表現をされるのは嫌だなぁ」と考える権利者がいたとする。その権利者が、「基本的に二次創作はOKですが、R指定となる表現はNGです」と明確に線引きした場合を考える。

 すると、それを旗印に裸のキャラクターの乳首に絆創膏貼っただけ(しかも乳輪は出ている)のイラストを大々的に公開する人間が出てくる。必ず出てくる。乳首絆創膏はR指定の表現ではないが、権利者としてはNGとしたかったはずの表現である。

 これに対処するため、追加で「肌の面積が20%以上出ているイラストはNGです」と再度アナウンスしたとしても、今度はスクール水着にニーソックスとロンググローブを装着しエロ蹲踞するキャラクターのイラストを公開する人間が出てくる。必ず出てくる。結局、どんなに厳密に線を引いたところで、本当に規制したかったはずの「性的な表現」を規制することはできない。

 多様な表現をする事が出来るのがイラスト・小説の魅力であり、その力で原作のキャラクターを再表現する事が出来るのが二次創作の魅力である。そんな多様な表現が存在する二次創作で、その全てを事前に把握してOK/NGの線引きを明確にすることは絶対に不可能だ。

 仮にOK/NGの線引きをしてガイドラインを定めたとしても、二次創作者側からはそのOKの範囲内で過激な表現を行う者が必ず出現する。これは人間の性質なので仕方がない。法律でさえそうなのだから、素人が作ったガイドラインの抜け道を探すのは容易い。結局、ガイドラインを定めてもNGとしたい表現で溢れかえってしまうのなら、二次創作など全面的に禁止するしかない。詳細なガイドラインを作り、随時改訂して二次創作を守っていくコストや義理など、権利者側には何一つ無いのだから、全て禁止するのが手っ取り早い。

その線は誰が引く?

 なぜこのような事になってしまうのだろうか? 権利者による線引きは言わばルールである。ルールからはみ出た表現は明確にNGだと扱われる一方で、ルール内の表現は全てOKだと、言外に表現されてしまう。無数のグラデーションが連なる二次創作の表現の規制に、0か1かで判断するルールを持ち込むと言う発想自体が破綻している。そして、権利者による明確な線引きは、二次創作者にとって「ルール」として扱われてしまう。この事が、権利者に線引きを求める事で二次創作が破滅する原理である。

 二次創作を守るために一番重要なのは、権利者に表現のOK/NGの判断を一切させない事だ。

 じゃあその線引きは誰が考えるのか?OK/NGの線引きを権利者に委ねる事がダメなのだとすれば、残る登場人物は1人しかいない。

 私たち二次創作コミュニティの側で考えるしかない。どういった表現がOKになりそうなのか、この表現はNGになりそうなのか、一人一人が考えてやっていくしかない。その判断を適切に行う事ができれば、NGの表現が権利者に触れる事はなくなり、権利者による表現の線引きをされる恐れは無くなるのだ。

 当然、その判断はエゴイスティックなものであってはならない。自分がOKか、NGかで考えるのではなく、「権利者から見てOKそうか、NGっぽいか」で考えなければならない。「権利者の思惑」という、雲を掴むようなフワフワとしたものを基準に、考えてやっていくしかない。

二次創作と自治

 具体的に、どのように「権利者から見てOKそうか、NGっぽいか」を見極めていくのか。何がOKなのか、何がNGなのか、実際は誰にも分からない。二次創作を描く(書く)人も、見る(読む)人も分からない。権利者に聞いても明確な答えは返ってこない。その中で、どのようにしてOKの表現を見極めていくのか。

 その拠り所は、言ってしまえば「常識」である。常識的に、ここまでの表現であれば何も咎められないだろう。この表現は、常識的に考えて原作者がちょっと怒るかもしれないな。常識という、あるのかどうかすらも分からないフワッとした言葉。正直好きな言葉ではないのだが、誰も正解が分からないのだ。ならば、自分等の経験と価値観、そして想像力からなる「常識」というもので、探り探りやっていくしかない。

 そして重要なのは各個人の持っている常識は全て歪んていること。それぞれ歩んできた人生は違うし、経験も違うし、価値観も違う。だから、一人で「常識」に沿って考えると、物凄いところにピンを刺してしまう可能性がある。その場合、同じ二次創作のコミュニティに身を置く人々が、「常識的に考えてそれはちょっと違うんじゃない?」と指摘し、適切な場所にピンを刺し直させる必要がある。このように、各個人の「常識」をぶつけ合っていくことによって、OKラインをはみ出た創作物は少なくなり、全体として「ここまでは多分OKだよね」というコンセンサスが取られていくことになる。これが自治である。

 良く「自治厨」という言葉がある通り、何の権力も正当性もない一般人が取締りのような事をするのは嫌われる傾向にある。それはもう仕方のない事だし、実際自治すべきでない局面の方が多いのも事実なのだが、二次創作においてはこの自治の存在が無ければ始まらないと考えている。

 何せ、権力と正当性を併せ持った権利者が二次創作を取り締まり始めるのは、コミュニティにとって破滅的局面に近い。権利者が「この表現はアウトです。やめてください」と言った時点で「ルール」は発効され、二次創作のコミュニティは破綻に近づく。そうならないようにしなければならない。誰かが眠れるドラゴンの尻尾を踏んでしまわないように、それぞれの住民が目を光らせて置く必要がある、というのが二次創作コミュニティの実際だし、あるべき姿だと考えている*1

 

表現規制をしているウマ娘の特殊性

 とはいえ、NGの表現がある二次創作のコミュニティはあまり見た事がない。公式イラストをトレスしプリントしたものをグッズとして販売したり、ゲームの開発者の名誉を毀損する同人誌を頒布したりして公式から法的手段を執行されたりしたケースは知っているが、それは二次創作の表現というよりもちょっと別の問題になる。ほとんどのコンテンツの権利者は、キャラクターのエロイラストがネットやアニメイトに氾濫したとしても、自社のビジネスに影響しない、と考えていると思われる。

 そう考えると、公式から二次創作の表現内容に対して自粛を求める声明を出しているウマ娘は特殊なコンテンツである。前述までの話を踏まえながら、何故ウマ娘公式はこのような声明を出しているのか、この声明に対して私たちはどう対処すべきなのか、考えていきたい。

なぜウマ娘は馬主から許可を取っているのか

 ところで、西山氏のこのツイートの通り、サイゲームスは馬名使用にあたり、それぞれの馬主(あるいはそれに近しい人物)に使用許諾を取っているものと思われる。サイゲームスは何故この使用許諾を取っているのか、そこから考えていきたい。

 と言うのも、ゲームにおいて実在の馬名を使用するにあたり、馬主の許諾を取る必要はない、との最高裁判所の判例があるためである。法解釈上は、ゲーム会社は実在の馬名を自由に使ってもいい、と言うことになっているのだ。

 しかし、現在競馬ゲームの開発にあたっては、馬名の無断使用は行われていないと推測できる。先の裁判の被告であり、勝訴したはずのコーエーテクモでさえ、販売しているゲーム「ウイニングポスト」の開発にあたり、馬名の使用許諾を取っているものと思われる。西山氏のブログからもそのような記述が読み取れるし、何よりもこのゲームには2019年度ダービー馬である「ロジャーバローズ」が存在しない*2。他のダービー馬はもちろん、GIIIを一勝しただけのような馬もこのゲームには収録されている。にも関わらずロジャーバローズが存在しないのは、馬主の許可が取れなかったから、そしてそれに従ったからに他ならないだろう。

 そしてサイゲームスも、ウマ娘の開発にあたって馬名の使用許諾を求めている。法的には問題はないはずなのに、何故一々馬主の許可を取っているのだろうか?

 もし仮に全く許可を取らずにウマ娘として実装した場合、サイゲームスに対する馬主の感情はおそらく最悪になる。自分の人生で出会った掛け替えのない大切な存在が勝手に美少女化され、勝手にほわほわ巨乳お姉さんにされたり、勝手にもふもふツインテールにされたり、勝手に激ヤバマッドサイエンティストにされている。そして、それを使ってサイゲームスというよく分からない会社が金を稼いでいる。怒るなというのが無理な話である。

 勝手に名前を使用された馬主はもちろんそうだし、その他の有力馬主も当然警戒する。その周りの調教師や騎手も当然良い気持ちにはならない。その結果、競馬を題材としたゲームなのに、実在の競馬会からは激しく敵視されている、という非常に歪な立場のゲームとなってしまう。その状況では競馬ファンウマ娘ファンの間での対立が深刻な状況となるだろうし、第三者から見たら「炎上してばかりの最悪なゲーム」とのレッテルさえ貼られてしまうだろう*3。その状況では新規顧客は望めそうもない。

 だからサイゲームは、競馬界との間に信頼関係を築く。歴代の強豪競走馬を美少女化するという、一見リスペクトの欠片も無さそうなコンテンツだからこそ、馬主の感情も大事にするし、寄付を通じて競馬界に対する貢献もする。そのようにして信頼関係を築いてきたからこそ、競馬を題材としたコンテンツとして社会に大々的に売り出す事ができるのだ。

 そう、ここでも信頼関係。ウマ娘自体、現実の競馬の二次創作である。馬主を始めとした権利者に対して、デメリットよりもメリットを多く与える事が出来る事を前提として初めて、「ウマ娘」というコンテンツが存在できるのだ。

 ウマ娘が存在することによって、あなたの愛馬のイメージに傷は付きません。いや、それどころか、競馬を知らない人たちにも、この馬の素晴らしさをもっと知って欲しいんです。私たちを信じてください。

 そのように「ウマ娘が存在することによってメリットがデメリットを上回る」と説明する、あるいはそれに準じることをしたことによって、それぞれの馬の二次創作で商売を行うことを許可されたのだ、と推測できる。

馬主をする理由、許可を出す理由

 少し話は逸れる。ここまで「愛馬のイメージ」と連呼してきたのだが、馬主はそのようなナイーブな理由ではなく金銭的な理由、つまりサイゲームスに巨額の金を積まれたから利用を許可した、という可能性は考えられないだろうか?

 これはあまり考えられない。というのも馬主という稼業自体が採算の成り立たない、ただの趣味なのである。

 GIレースで1着になると1億円、大きなレースでは3億円もの賞金が支払われる。巨額に思われるが、そもそも競走馬自体が購入に数百〜数千万円かかり、毎月のランニングコストも数十万円かかる。そしてデビューした競走馬だが、80%は一勝も出来ずに引退する。そんな過酷な競争を勝ち抜き、強豪が集うGIレースで1着になってやっと1億円である。とてもビジネスとしては成り立たない。ほぼ全ての馬主は競馬で赤字を垂れ流しているのが実情である。

 じゃあ何故馬主をしているのか。有り体に言えば趣味であり、もっと言えばロマンである。自分の馬で大レースを勝ちたい、その喜びを数万の観客と分かち合いたい、自分の名付けた馬の名前を血統表に残したい。そんなロマンが馬主を突き動かしている。そうして出会った馬、特にウマ娘に出てくるような実績と感動を積み上げた馬は、その馬主にとって人生でも大きなウェイトを占める存在だと言えるだろう。

 別に自分は馬主でも何でもないので上記は想像でしかないのだが、大きくは外れてはいないと思う。また、馬主の多くは安定した収入を持った経営者である事が多いため、そもそも金銭を求めて馬主をする動機も無い。

 そんな馬主なので、ウマ娘に自分の馬を登場させている動機も金銭的理由とは考えにくい。おそらくその動機は、「うちの馬のことをもっと知ってもらいたい」という感情になるだろう。

 そう、馬主がウマ娘に二次創作を許可している理由は、ビジネスではなく感情なのである。二次創作を許容する前提となるのは、他のコンテンツのように「自分のビジネスにマイナスにならず、プラスになるから」ではなく、ウマ娘の場合は「自分の馬のイメージが悪くなる事がなく、もっと知ってもらえる」からである。ここが他のコンテンツの二次創作と根本的に違うところで、ウマ娘の二次創作が許可されている前提は、金銭的ではなく感情的な理由なのである。

 二次創作が存在できる前提が違うので、他のコンテンツで許されてきた表現も、ウマ娘では許されない、という事は普通にあり得る。ウマ娘のアニメやゲームを見ても、露骨な性的表現はほとんど存在しない*4。女性向けのマーケティングを意識した結果でもあるのだろうが、馬主や競馬界に対する配慮もまた大きな要因を占めるだろう。

ウマ娘は競馬の二次創作

 さらにウマ娘が他のコンテンツと違うのは、ウマ娘自身が二次創作であり、ウマ娘の二次創作は現実の競馬の三次創作となる、という多重構造にある。そうなるとどうなるのか。簡単に言えば、許容される表現の幅が大きく狭まるのだ。

 サイゲームスに許可を出した自分の愛馬が美少女キャラクターとして擬人化されて登場した。その結果、あられもない格好であられもない行為をしたキャラクターや、無残な姿にされたキャラクターのイラストが、自分の愛馬の名前のキャプションと共に公開され、共有され、氾濫する。それを目にした馬主は、自分と愛馬との思い出を汚された気持ちになるだろう。

 「お前たちのことを信頼して許可を出したのに、約束が違うだろう! もううちの馬の名前を出すな!!」

 このようなことを馬主が言い出したら終わりである。要求を呑むにしてもその後のコンテンツ運営に重大な支障をきたすし、呑まないにしろ、サイゲームスと競馬界の関係は決定的に悪化する。いずれにせよ、ウマ娘というコンテンツ自身の存続が危ぶまれる事態となる。

 当然、サイゲームスとしてはそうなる前に手を打ってくる。つまり、「馬主が感情を害しそうな表現」が出てきた段階で、声明を出すなり規制するなり告訴するなりの手段に出てくる。これは先に書いた、「二次創作における自治」に似ている。権利者を怒らせたら終わりなのだ。そうなる前に、ウマ娘の二次創作の表現をコントロールしておく必要がある。「イメージを著しく損なう表現は行わないよう」という声明を出したのも、その自治の一貫であると言えるだろう。問題なのはその自治を行うサイゲームスもまた権利者なのである。

 先に書いた通り、権利者が二次創作の表現の線引きをしてしまうのは、二次創作の自由を大幅に狭める可能性のある事態であり、二次創作者としては出来れば避けたい。そしてサイゲームスが怒りそうなのは「馬主が感情を害しそうな表現」である。これを避けなければならない。つまり、私たちウマ娘二次創作コミュニティが避ける必要がある表現は、「『この表現は馬主が気分を害してしまいそうだ』とサイゲームスが考えそうな表現」なのである。

 権利者を怒らせれば終わりの二次創作にあって、安全な表現の幅が「実際に権利者が怒るライン」よりも狭くなるのは必定である。それがウマ娘の場合、権利者が2段階に渡って存在するので、「実際に馬主が怒るライン」から「(サイゲームスが考える)馬主が怒りそうなライン」「(二次創作者が考える)サイゲームスが怒りそうなライン」と二段階幅が狭くなる。他のコンテンツに比べて、安全な表現の範囲が構造上大きく狭まっているのがウマ娘の二次創作の特性だと考えられる。

 また、「イメージを著しく損なう表現は行わないよう」という曖昧な声明を出したのも、サイゲームスも実際のところ、どのような表現が馬主の気分を害するのか分からないからだ。先に書いた通り、二次創作の表現に明確な線引きは不可能である。そしてサイゲームスとしても、馬主に「乳首に絆創膏貼っただけのイラストはOKですよね?」と確認するわけにもいかない。厳密なルール化は不可能である。この状況でサイゲームスが取れる行動は2つに1つで、1つは二次創作を全面的に禁止すること、もう1つは「上手くやってくれるだろう」と、二次創作者の良心に任せて二次創作を許可することである。サイゲームスは後者を選択した。逆に言えば、「コイツらは上手くやれそうもない」と判断されれば、ウマ娘二次創作は終わりである。

 長くなってきたのでまとめよう。ウマ娘の二次創作が、他のコンテンツの二次創作と大きく異なるのは以下の2点だと考えられる。

  • 二次創作の前提がビジネスではなく感情であるため、他のコンテンツで存在が許される表現の多くは許されない
  • ウマ娘の二次創作は競馬の三次創作であるため、安全な表現の幅は他のコンテンツと比べてかなり狭い

何故エロばかりがアウトなのか問題

 

 このようなツイートを見かけた。確かに、イメージを損なう可能性のある二次創作は大量にある。その中でも、何故エロばかりが忌避されているのか疑問に思う人はいるかもしれない。

 何度も書いている通り、「具体的にどのような表現がイメージを損なうのか?」をサイゲームスに聞くのは愚かな行為である。答えは、私たちの中で出していくしかない。ここでは、ウマ娘においてウマ娘では何故エロイラストばかり忌避されているのか?」を考えていきたい。

 上述の通り、サイゲームスが「イメージを損なう表現」を自粛するように要請している目的は、馬主の感情を損なわないようにするためである。それを前提とした時、「馬主の感情を損ねる可能性のある二次創作」はどのようなものがあるだろうか?

 答えとしては全部となる。あらゆる二次創作は馬主の感情を害する可能性がある。

 例えば、マイルチャンピオンシップで後続の追撃を振り切り必死の形相で最後の直線を駆け抜けるタイキシャトルのイラストが公開されていたとする。一見問題は無さそうに見える。

 しかし、これを目にした馬主はマイルチャンピオンシップでうちの馬は5馬身差余裕の圧勝しとったからこんな表情せんわ! イラスト描くのに実際のレース調べんのか! 死ね!」と怒る可能性は、ある。表現の解釈など、受け手の経験や価値観に加え、その日の体調や感情によっても変わってくるので、絶対に怒られない表現など一切存在しない。全ての二次創作の表現は多かれ少なかれ、権利者からの怒られが発生するリスクを例外なく抱えている。

 じゃあこのタイキシャトルのイラストを公開する事によって、実際に怒られが発生するリスクはどれぐらいあるだろう? まぁ、ほとんど無いだろう。上記のような解釈は、元からウマ娘に対する敵意が物凄い、かつ虫の居所が死ぬほど悪い場合ぐらいしかされないだろう。だから、このようなイラストは躊躇なく公開する事ができる。外出する際に交通事故に遭うリスクを想定しないのと同様に、このイラストを公開する事で怒られが発生するリスクもまた十分に小さい。そんなリスクは考えなくてもいい。

 このように考えると、二次創作でOKとされている表現は「絶対に怒られない表現」を指すのではなく、「怒られるリスクはあるが、常識的に考えて非常に小さいので、無視してもいい表現」である、と考える事ができるだろう。

 では別の表現を考えよう。アニメ2期放映以降、メジロマックイーントウカイテイオーの百合イラストが流れてくるようになった。当然、現実のメジロマックイーントウカイテイオーは恋仲であったわけではなく、実在の馬のイメージとは異なる表現である。メジロマックイーンxトウカイテイオーの百合イラストを見た時、馬主は怒るだろうか?

 これについては色々な意見があると思う。自分の考えだが、百合イラストはおそらく怒られない。馬主がこのイラストを見た時「何でうちの馬とマックイーンがちゅっちゅしとんのや...」と困惑するかもしれないが、そこからトウカイテイオーのイメージが毀損されている!」とは、ちょっと思いづらいのではないだろうか。

 当然、「いや百合は怒られるだろ!」という意見も存在すると思う。確かにそうなのかもしれないし、そう思う人が多数派だとすれば実際にその確率は高いと思う。そしてこの答えは誰も知らない。「この表現に対して馬主はどれだけ怒りそうか」に対する明確な答えは存在しない。それぞれの「常識」に沿って考えて、「自治」によってすり合わせるしかない。

 客観的な結論として、「百合イラストはどれぐらい怒られそうか?」という問題については、二次創作コミュニティとしての答えはまだ出ていない状況なのである。先述の通り、ウマ娘の二次創作は「馬主の感情」というあやふやなものでOK/NGを考えなければならない特殊な環境なので、他のコンテンツのコミュニティから答えを持ってくる事も出来ない。これから時間をかけて、自分たちなりの答えを出していくしかない。仮に「百合イラストくらいだったら馬主さん怒んないよね」となったとしても、実際に百合イラストを見た馬主が激怒する可能性もあり得る。その時の損害は、二次創作のコミュニティ全体で引き受けるしかない。

 さて、当初の問題に立ち返る。ウマ娘では何故エロイラストばかり忌避されているのか?」

 それは、各個人の常識に照らし合わせて「満場一致でこれダメだよね」と早々にコンセンサスが取れたのがエロ系の表現だからである。

 ウマ娘の二次創作に関わる者として、みんな言外のうちに「『この表現は馬主が気分を害してしまいそうだ』とサイゲームスが考えそうな表現」には何が該当するかを考える。その根拠は各個人の「常識」なのだが、各個人が「常識的に」考えた結果として、多数の人が「エロイラストは絶対馬主怒るよね」と結論を出した、のが今の状況なのである。

 「いや、自分の馬がエロく書かれても馬主は怒らないだろ!」という反論もあり得るだろう。そういう馬主もいるかもしれない。しかし、何度も言う通り、二次創作のOK/NGの線引きは、二次創作のコミュニティ側が決める必要がある。その根拠は、どうしても「常識」に依存せざるを得ない。言ってしまえば、根拠など無いも同然なのである。

 根拠の無い状態では議論は成り立たない。「エロは怒られる」という主張に根拠は存在しないが、「エロは怒られない」という主張にもまた根拠は存在しない。ただ一点言えるのは、「エロは怒られる」と信じている人がウマ娘のコミュニティ内で多数派という事である。議論が成り立たない以上、「エロは怒られない」と思っていたとしても、コミュニティに属する人間としては従うしかない。従わなければ「コミュニティを危険に晒す危険人物」として攻撃され排除される運命にある。これは仕方のない事である。

自浄作用と怒り

 さて、自分が属する二次創作のコミュニティに、エロイラストはダメだというコンセンサスがあったとする。その中で、堂々とエロイラストを公開しているアカウントがあった。そのイラストは現時点で1000RTされている。指摘のリプライは既になされているが、それに対して本人は悪びれる事はない。コミュニティを守るために、私たちはどうするべきだろうか?

 色んな意見があると思うが、自分の意見としては「ボコボコに叩く」である。この界隈ではエロ書いてはいけないって知らないのかよ、というか知っててやってたの? 信じられない、ありえない。みんなでコイツ通報して凍結に追い込もう。

 過激思想に思われるかもしれないし、実際そうなのだが、そうするしか方法はないと思う。コンセンサスから外れた表現は権利者を怒らせる可能性が高いし、怒らせたら二次創作界隈にとって重大な不利益になる。しかし既に公開されてしまった表現は仕方がない。次善の策としてボコボコに叩く事で後に続く者が出ることを防ぐとともに、「この二次創作のコミュニティには自浄作用がある」と権利者に対してもアピールする必要がある。

 よくこのような問題に対して「権利者とその人の間の問題なんだから、外野が口にする事ではない」という意見を目にするのだけど、個人的には当事者意識が無さすぎなのかなと思う。何度も書いている通り、本当に権利者と当事者との問題になった時点でもう手遅れなのだ。眠れる獅子を起こさないため、この問題は二次創作のコミュニティに閉じて処理をする必要がある。

 そして、怒るというのはネガティブなイメージがあるが、大切なものを守るためには必要不可欠な行為である。「外野は黙ってろ」という言葉が正当性を持つのは、その人が本当に外野の時である。このケースの場合、自分の属する二次創作のコミュニティが危機に瀕するわけなので、外野ではなく完全なる利害関係者となる。大切なものを守るために声を上げるというのは、全く正当な行為だと思う。

 もう一つの例を考える。偶然にもエロイラストを発見してしまった。しかしそれはTwitterの鍵アカウントのものであり、そこから外部に拡散されている気配もない。これを見て、私たちはどうするべきだろうか?

 これも色んな意見があると思うが、自分の意見としては「見て見ぬふりをする」である。自分たちが恐れなければならないのは「エロイラストが権利者の目に届く」事であり、「エロイラストが創作される」事そのものではない。権利者の目に触れないよう十分に配慮されたものについては、事を荒立てる必要はない。

神は存在するのか

 ここまで長文を書いてきたが、どのような感想を抱いただろうか? 「自分たちの中で自治をするしかない」「常識と言うあやふやなもので判断するしかない」「異端者は袋叩きにするしか無い」。かなり野蛮な思想の持ち主であるように見えるし、実際にその通りだと思う。土着神を崇め奉る未開の地の住人そのままである。

 二次創作は宗教に例える事ができると思っている。権利者は神であり、神は何一つ言葉を発することはない。神は自分たちの行動をどう考えているのか、どんな行動をすれば神はどんな応報を加えてくるのか。根拠のないまま考え、集団を律して、不届き者は処刑して生贄に捧げ、神の怒りを鎮めなければならない。こう考えれば、自分の考えはなかなか原理主義的である。

 そして神の存在を否定する人もまた存在する。「何をやっても問題ない。神に縛られることはない。俺たち人間は自由だ」。そのような考えは近代主義的であると言えるかもしれない。二次創作に当てはめれば、「権利者を怒らせたからと言って、別に二次創作に影響なんて出ない」と言う立場である。この立場にも説得力がある。権利者が怒って二次創作が絶滅したコンテンツは歴史上一つも無いからである。

 結局これには正解がない。二次創作に対してどのようなスタンスで関わっていけばいいのか、本当は誰にも分からない。だからみんなで議論する、話し合う、自治する。何度も書いてきた事だが、答えの分からない問題に対してはそうやって上手くやっていくしかない。

 この文章を書いたきっかけとしては、冒頭にあった通りセイウンスカイニシノフラワー周りのゴタゴタが発端であり、それをきっかけとして自分の中で湧き上がってきたモヤモヤを、言語化して発散したかったからである。結局、答えがないことに対して延々と自問自答するハメになったので、余計モヤモヤしてしまった感は否めない。ただし、自分なりの二次創作に対するスタンスは、ある程度筋道立てて表明してきたつもりである。

 ここまでこの文章を読んできたということは、あなたも二次創作を愛する人だと思われる。あなたは、二次創作についてどう思うだろうか? 考えた事がないのなら、どうか出来れば、一緒に考えてモヤモヤして欲しい。その事が結局、二次創作を守ることに繋がると信じている。  

*1:一方で、自治をする人に対して「そこまで取り締まる必要は無いんじゃない?」と指摘する「自治自治」もまた必要な事である

*2:ロジャーバローズだけでなく、同じ馬主の他の馬も全て存在しない

*3:競馬のイメージもダウンするだろうが、競馬のイメージは元から悪いのでノーダメージ

*4:ダイワスカーレットのキャラデザは確かにエロいが、まぁ他のコンテンツに比べれば、まぁ...