打ち首こくまろ

限界オタクの最終処分場

セットリストとミリオン8thライブ

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 ロックが好きなのでロックバンドのライブによく行く。

 当然そのバンドのジャンルによって、雰囲気も客層も全く違う訳なんだけど、そのライブが開かれる動機を物差しにして、ライブは乱暴に二つに分けることができる。 「レコ発ライブ」「その他のライブ」だ。

 「レコ発ライブ」は新しい音源を引っ提げてのライブ。ツアーであることもしばしば。「レコ」という単語が使われていることからも、古き良き時代から伝わる由緒正しき言葉だとわかる。

 「その他のライブ」は文字通りレコ発ライブ以外のライブを指す。「初の武道館ライブ!」だったり、「解散ライブ」だったり、「レコ発にする予定だったけど音源完成しなかったのでライブだけやりますライブ」だったり、色々とある。

 まぁ乱暴な二分法なんだけど、これが機能するのは開催されるライブの半数以上はレコ発ライブだからだ。

 で、自分はどちらが好きなのかと言えば、強いて言えば、のレベルではなく、圧倒的に「その他のライブ」の方になる。理由は「セットリストの自由度」にある。

 レコ発ライブのテーマとなる音源はアルバムであることが多い。アルバムは12曲ほど収録されることが多く、その大半がライブで演奏される訳なのだけど、ライブの曲数は全体で精々25曲ほど。セットリストの半分ほどを新規音源から引用する必要がある。

 ここで問題になるのは、そのアルバムの収録楽曲は全て同じクオリティという訳ではない、ということ。はっきり言って捨て曲としか言えない曲も混ざっていて、しかしそれも新曲には変わりないので、レコ発ライブではしっかり披露されることになる。

 楽曲制作能力の乏しいデビュー直後のバンドなんかはこれが一つの音源に複数曲あることも珍しくなく、しかもそれをセットリストの中にいい感じに隠蔽できるほどの持ち曲もない。結果、ライブ中に客席が冷える地獄の時間帯が発生しやすい

 実際、アルバムから捨て曲(と思われる曲)を続けて演奏した直後のMCで、ボーカルが恐る恐る「……大丈夫ですか? 盛り下がってないですか?」と問いかけて観客が苦笑する、という哀しすぎるライブに参加したことがある。レコ発ライブではこのような事故が発生しうるのだ。

 もう一つ問題なのは、アルバムはそれで一つの作品なのだということ。アルバムは単なる作品集ではなく、特定のテーマが掲げられそれに合致する楽曲が制作、ないし収録される事が多い。

 要はそれぞれの曲が一つの世界観に寄り添うようになってるんだけど、ライブではそれらの曲だけでなく既存の曲も出してこないと曲数が足りない。当然既存の曲は世界観を異にするため、新規楽曲と既存楽曲が連続で演奏されると違和感が生じる場合がある。

 特に顕著なのが、そのバンドがニューアルバムで表現方法をガッツリ変えてきた時。例えば今までギターロックを主軸にやってきたバンドが、いきなりギターを手放してピアノと電子楽器を主体としたエレクトロニカに傾倒したアルバムを出してきた時(そしてこれはいくつか実例がある)、セットリストにはギターロックとエレクトロニカが入り混じることになるため、「高低差で耳キーンなるわ!」と言いたくなるほど統一感のないライブになる。これらはいずれも、「ニューアルバムの曲を中心にセットリストを組まなければならない」という制約が課せられるレコ発ライブならではの欠点だ。

 「その他のライブ」ではそれらの制約が無い。自由にセットリストを構築することができる。観客が盛り上がるキラーチューンを連続で演奏することも、マニアが唸る隠れた名曲を披露することも出来る。制約がないから、セットリストをフルに使って、観客を最大限に楽しませることに集中できる。その自由度の恩恵は当然、観客である僕たちも受けることが出来る。

 ライブの感想では、あの曲が良かった、この曲も良かった、みたいな個別の曲の感想になることが多い。だけど、自分はその前後の曲の流れもすごく大切だと思っている。盛り上がる曲の直後に静かなバラードを奏でられると、前曲の余熱でその世界に浸るのに時間がかかり、静かなバラードの直後に盛り上がる曲を演奏されても、気持ちのギアを切り替えるのに時間がかかって付いていけない。

 そうじゃない。盛り上がる曲の後には盛り上がる曲を浴びて、どこまでも加速していきたい。美しいバラードの後には美しいバラードを聴いて、どこまでも深く潜っていきたい。そうして僕たちは、現地のライブでしか到達することのできない非日常感に到達することが出来る

 当然、盛り上がる曲を演奏し続けることはメロコアバンド以外には出来ないので、そのブリッジには適切にMCが挟まれる。そのMCにも各バンドの力量やスタンスがつぶさに現れる。ベテランバンドのMCはまた別の世界へとスムーズに誘ってくれる。あるいは、MCではほぼ一言も喋らず、独特の緊張感を保ったまま二時間走り続けるバンドもある。いずれにも共通しているのは、様々なバックグラウンドを持つ一つ一つの曲を橋渡しして、一つのライブという無形の作品を作り上げていることだ。

 ライブというのは、単品の曲を20数曲並べる発表会ではなく、様々な曲を引用して一つのライブという無形の作品を作り上げるというものだと思う。同じ音源を渡しても、プロのDJと素人DJとでは曲の繋ぎ方にも盛り上げ方にも雲泥の差があるように、ライブの出来というのは、単品ごとの歌やパフォーマンスの良さだけでは測れない。むしろ、そのクオリティの大部分は、セットリストの構成が担っているのでは無いかと思ってしまうほど。いつもイヤホンを通して聴いている曲がライブでは全く違って聞こえるあのマジックは、日常に疲弊した僕たちを非日常へと誘ってくれるのは、練りこまれたセットリストの存在が大きいのでは無いだろうか。

 だから僕は、ライブに行くときには、「どんなライブになるんだろう」と同時に、「どんなセットリストになるんだろう」というワクワクも胸に会場へと赴く。それぞれの曲の素晴らしさはもちろん、それをさらに引き立たせるセットリストの妙によって、ライブはさらに素晴らしいものになる。練り込まれたセットリストには神が宿る。そう信じて、僕は今日もライブに行くのだ。








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 こうして長々とポエムを書いたのは、先日参加した「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 8thLIVE Twelw@ve (以下、8th)」を今からdisってしまうからである。いきなりdisアクセル全開だと読者の反感を買ってしまい逆に自分の身を滅ぼしてしまう危険性があるので、あらかじめ自分の価値観をみなさんにインストールしておいて、自分の主張の納得性を少しでも高めておこうという姑息な狙いがある。それでも反感を買ってしまうという方、ごめんなさ〜い! ラッキーアイテムはNumLockキーです。

 まぁ徹底的にdisろうという気持ちは別にあまり無くて。映画が好きで映画を見続けているといつかは実写版デビルマンを引いてしまうものだし、自分もライブそこそこ参戦してるので、自分にとってのジョーカーを引いてしまったのがこのタイミングだったという話でしかない。ただ、これを機会に自分がライブで大切にしてる価値観を改めて言語化しておこうと思ったのがこんな文章を書いてる動機だ。

 まず、8thライブはどういうものだったかというと、「Million Theater W@ve (以下、MTW)」というCDシングルシリーズの「レコ発ライブ」になる。一年半かけて発売してきたこのシリーズでは、それぞれのアイドルがそれぞれのユニットを組んでそれぞれの曲を歌っているのだが、このライブでそれらのユニットが一堂に会し新曲を披露していく…… というライブだった。

 「レコ発ライブそんな好きじゃ無いくせに行って嫌な思いしてdis記事書いてんの?」と思われるかもしれないので一応弁明しておくのだけど、ライブタイトルからしてMTWシリーズの楽曲を押し出したライブになることは明らかなので、当然その点は織り込んだ上で参加した。前半でレコ発ライブについての不満や欠点を訥々と書き下したのだけど、レコ発ライブ自体が嫌いという訳ではないし、レコ発ライブの欠点を補ってあまりあるほど素晴らしいライブは沢山あるし、これまでにも沢山参加してきた。この8thライブも、セットリストの構成によって素晴らしいライブにしてくれるだろうという期待を胸に参加した。参加したのだが...

 そのセットリストの構成はこうだ。8thライブは2days開催となるのだが、MTWには12ユニット登場するため、出演者として各日にそれぞれ6ユニットが振り分けられる。ライブのオープニングが始まるとそのまま全体の歌唱曲を歌うこともなく1ユニット目がいきなり登場。1曲目を歌って自己紹介&MC、そのあと2〜3曲目を歌って退場。その次に2ユニット目が登場して3曲歌って退場。この流れを6ユニット目まで繰り返す。それが終わったら全員登場して長めのMCやって、ユニット合同で5曲ほど歌って、最後に全体曲を歌って本編終了。

 Twitterとか見ると良いライブだったと言ってる人が大半だから自分の意見が完全に極端なことは分かってるんだけど、このセットリストの構成、自分にとっては本当に、本当に、絶望を絵に描いたようなセットリスト。

 この構成の何が嫌かって、ユニットの切り替わりごとに雰囲気がリセットされること。それぞれのユニットが登場して頑張って3曲歌う訳なんだけど、そんな曲数でそれぞれのユニットの雰囲気が出せるわけもなく、精々20分の出演時間が終わると「○○でしたーありがとうございましたー!」と舞台袖にハケていき、「私たち、○○ですー!」とまた別のユニットが自己紹介して3曲歌って帰っていく。これを6回繰り返していたのだ。

 当然、各ユニットごとにテーマも何もかも違うわけなので、そのユニットの切り替わりに連続性は一切無い。ダンサブルで盛り上がるユニットが出てきて身体が温まるかと思ったら、大人っぽいシティポップを歌うユニットが出てきてスン...となり、その雰囲気が会場を満たさないうちにまた別のユニットに切り替わる。持ち曲の少ないインディーズバンドの5マンライブじゃねぇんだぞ。結果、気持ちが盛り上がりきることなく、浸りきることもなく、生煮えのまま最後までライブが終わってしまった。

 「そうは言っても、ミリオン6thも同じような構成だったでしょ?」という声も聞こえてきそうではある。確かに、6thも別のCDシリーズを引っ提げてのライブで、ユニットごとにぶつ切りの構成なのも8thと同じ。そして、自分にとって6thも「心から最高!」と言えるライブではなかった。ただ、6thは「良いところもあれば受け入れられないところもある」ライブだったのに対し、8thは「個人的に全面的に受け入れられない」ライブになってしまった。

 6thのライブのテーマは「ユニットの再現」で、短い出演時間の中に各ユニットの雰囲気をなんとかして出そうと様々な趣向を凝らした演出が施されていた。夏祭りをテーマにしたユニットは外部の和太鼓グループを招聘して演奏してもらう、ミュージカル風の曲を歌ったユニットは曲を歌う代わりに長尺のオペラをやる、オルタナティブロックがテーマのユニットは全体的にアングラな雰囲気を出しつつ弾き語りも取り入れる、など。

 結果的に、「偶発性やインタラクティブ性のあるライブ」というよりも、「台本の決まったショー」という趣が強くなり、ライブを期待した自分としてはかなりのガッカリ感があったのだが、やろうとしてる事は無茶苦茶理解できた。「ライブ性を犠牲にしてでも、ユニットの実在性を際立たせるライブにしよう」としてるのだな、と。

 8thにはそれが無い。実在性を出そうとする試みが全く無かった。

 いや、全く無いは言い過ぎで、ユニットによってはバックバンドを携えたり、ミュージカルダンサーを出したりしていた。しかし、6thに比べると要素が薄すぎるし、何より半分以上のユニットがそうした試みというか施策が全く無かった。3曲歌って帰るだけ。ライブ感を犠牲にしたセットリストの構成にしているのに、それを犠牲にして何を実現しようとしていたのか、全く分からなかった。

 もう一つ付け加えると、ライブのオープニングで全員歌唱するのではなく、いきなり一曲目から各ユニットの登場に回すという構成も、「8thライブ」という一つのライブではなく、各ユニットの合同6マンライブという趣を強くしているように思えた。これにより8thライブというライブ全体のテーマが見えなくなり、各ユニット間の連続性がさらに切断されているように感じられた。

 「ショー」として見れば満足できた6thに比べて、8thはショー性は6thに比べるとほとんど無いし、ライブ性として見ても上述の通り。周年ライブとしても、この一年の集大成、みたいなエモい雰囲気も全くなく、残念ながらそれぞれのユニットがレッスンした曲の発表会、という雰囲気を強く感じてしまった。1万円と交通費とコロナに罹患するリスクを支払って鑑賞するのに見合う価値は、正直自分には見出せなかった。

 ただまぁ、MCでキャストも吐露していたように、このご時世だし裏側でかなりのゴタゴタがあったことは想像がつく。パフォーマンス中にも練習が間に合わなかったんだろうなと感じさせられる場面がいくつかあったし、このような構成になってしまったのも、何かしらの止むに止まれぬ事情があったのかもしれない。それでも、こちらは安く無いチケット代に加えアソビストアプレミアムの年会費を支払っているのだから、こうしてこっそり文句を吐き出すくらいは許されるだろうとは思ってる。

 唯一楽しめたのは、ある青春系ピアノロックバンドユニットが、他のアイドルが歌うギターポップロックの曲をピアノロックにアレンジして披露したこと。これは本当に素晴らしい試みだと思っていて、あんな感じで既存の曲を各ユニットに引き寄せて解釈して演奏するというのは、そのユニットの輪郭をさらに際立たせることにもなるし、これまで聴き親しまれていた曲に新たな解釈を吹き込むことにも繋がる。このような試みが8thライブの中にもっとあれば、もっと楽しめたと思う。

 ここまで酷評した8thライブだけど、一方で心の底から楽しめた人が大多数だと思う。以前、周りのオタク仲間たちに「6thみたいなぶつ切りのセトリって良くないよね?」と熱弁してもあまり共感してもらえなかったし、曲の流れとかライブ性とかよりも他のことを重視している人の方が多数派なんだろう。声優アイドルライブに行ってる割には、キャストの顔とか衣装とか存在とかキャラクターの実在性にはあまり興味が無くて、ほぼ純粋に曲とパフォーマンスを楽しみに行っている自分はかなり特殊な楽しみ方をしているのかもしれない。立っている位置が違うからこそ、同じものを見ても真逆の感想を抱くのだろう。

 ここまで書いてきて思い出したんだけど、自分のアイマスライブ初参加は友人に連れて行ってもらった2017年のハッチポッチフェスティバルで、ほとんど何も予習することなく臨んだわけなんだけど、そこで披露されたセットリストというのは音楽のジャンルの垣根を縦横無尽に駆け抜けるもので、今までロックライブしか行ったことのなかった自分は「こんな楽しいライブがあるのか!」と衝撃を受けたのを覚えている。その後、初星宴舞やミリオン5thにも参加して、当然曲やキャストのパフォーマンスにも満足したんだけど、やはりその楽しさの根底にあったのは、「次に何が飛び出してくるかわからないセットリスト」の存在も大きかったと思う。「次はどういう曲が来るんだろう?」というワクワクが、僕をライブの熱狂に引き込んでいた訳だ。

 その後、6thライブで複雑な感情になり、7thライブで「やっぱりミリオンライブは最高やなぁ」という気持ちになって、この8thライブで一気に虚無になってしまった訳なんだけど、まぁ周りを見回してみても、メディアミックスコンテンツのライブでは舞台上で原作を再現しようとするショー化が進んでいるのかなと思う。それを喜ぶ人は多分多いと思うのでビジネスとして積極的に進めるべきだとは思うんだけど、そのような予定調和を是とするライブは自分が楽しめるライブの形ではないし、ショーを見るのならば、舞台の見えづらい現地よりも、そのリスクのない配信やライブビューイングの方が圧倒的に楽しみやすいし安価だなと思ってしまう。実際、2日目は現地チケットを払い戻して配信で見たんだけど、ショーとして鑑賞すると1日目よりは楽しむことができた。

 9thがどのようなライブになるのかは分からないけれど、もしアニメ化と合わせてアニメに準じた構成になるのならちょっと自分向きではないかもしれない。今までミリオンライブのライブは無条件に参加してきたんだけど、今後はライブの内容について慎重に見極めていきたい。